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タイ:ジム・トンプソンの家~Thai Silk社のグローバル展開計画(上)

ジム・トンプソン氏がマレーシアのジャングルで消えてから半世紀経った今、このアメリカ人スパイはタイのシルク貴族として伝説となっている。そして映画や本で登場し続けるだけでなく、忽然と姿を消した事件について繰り返し取り上げられたり、新説が提示されたりしている。トラに食べられたのか? CIAや共産党の反勢力に殺害されたのか?あるいは61歳の彼は単に道に迷い、渓谷にでも転落したのか?

その事件は東南アジアで最も謎に満ちたミステリーの一つであるが、同時に彼は最も個性的な人物の一人でもあった。トンプソン氏はタイで有名なアメリカ人美食家であり、素晴らしいアートコレクションを所有し、影響力を持つ友人や団体との交友関係を持っていたことが、グレートギャツビースタイルの名声を彼に授けた。一方で彼は、東南アジアにおけるシルク貿易を復活させた優秀な起業家でもあった。そして今ではこの事業はグローバルへ向かっている。

それは、トンプソン氏の遺産であるThai Silk社を所有するBill & Eric Booth父子のビジョンである。Thai Silk社はタイ全土に30以上の店舗、2600人の従業員、年間売上高で9000万米ドルを誇るタイの企業である。トンプソン氏のバンコクにある邸宅は、池を囲んでいくつかの古い木造住宅が並び、アート作品を展示して、タイで観光客が最も訪れる文化財の1つである有名なジム・トンプソン・ハウスとなっている。

しかしこうしたタイでの成功は、海外にも伝播しているであろうか? Thai Silk社は1999年にシンガポールに海外初の店舗をオープンさせ、2007年にはアジアを超えてドイツに貿易事務所、2013年にパリに1店舗を出店した。そしてアシスタント・マネージングディレクターのEric氏は、アトランタを本拠地にアメリカの事業を立ち上げるのに数年間を費やした。今、彼はこうしたグローバル展開を加速させたいと考えている。「我々はタイで最も有名なブランドのひとつですが、海外では誰も知りません。」と彼は言う。

2016年にBooth父子は事態を変えるために5ヵ年戦略を打ち出し、新しいCEOのGerald Mazzalovo氏を迎えたのである。「ジム・トンプソンは、タイ初のグローバル・ラグジュアリーブランドとなる可能性があります。」と彼は自信を持って述べた。彼は生涯に渡りSalvatore Ferragamo、Loewe、Bally、Robert Clergerieなどのラグジュアリーブランドを経営してきたスペシャリストである。彼は、何十年もの間家族経営であったこのタイ企業にとって、初の外部からのCEOとなる。

タイ国外では、ほとんどの人が向こう見ずな創業者の存在を通じてThai Silkを知っている。デラウェア州グリーンビル出身のトンプソン氏は、プリンストン大学を卒業し、建築家となった。その後第二次世界大戦の間、CIAの前身機関である戦略諜報局(OSS)に勤務した。彼はヨーロッパやアフリカで諜報活動を行った後、タイを日本軍の占領から解放する作戦に従事するためにアジアに送り出された。

その後彼は、戦争終結に伴い組織を離れた。彼はアジアの独立運動支援を主張したが、ワシントンの本部はベトナムなどの反共産主義体制を支持した。組織に幻滅したトンプソンは、織物の商売に従事することを決めた。彼の父親は織物製造者であり、1947年に会社を設立していたためである。しかし彼は、冷戦政策について歯に衣を着せずに批判を続けたので、CIAやその他アジアの同盟グループがベトナム戦争絶頂期のマレーシアで彼を沈黙させたと多くの人々は推測している。

トンプソン氏は1967年3月26日に姿を消したが、子供はいなかった。会社の彼の持ち分は甥に相続され、1973年にトンプソン氏の代理人が死去した後、その甥と他の投資家は当時最高職位にあったBill氏を責任者に任命した。トンプソン氏と同様、Bill氏も米軍からタイに派遣されていた。彼は1959年に軍人としてタイに入り、3年後に除隊となってからバンコクに再度戻った。

トンプソン氏は、大量生産に押されていたこの地域のシルク製織技術を復活させたため、広く尊敬されている。「手織りはここでは絶滅寸前ですが、悲しむべきことに同じことが各所で起きています。」とビエンチャンでLao Textilesを運営し、シルクと織物に関する地域有数の専門家であるCarol Cassidy氏は述べた。「ジム・トンプソンは類まれなるセンスを持っていました。彼は間違いなく、シルクと工芸品の格を上げるのに貢献しました。」

 

(中編につづく)

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最終更新:2018年06月16日

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