インドシナニュース

2018年06月 のニュース一覧

タイ:糸に込められた伝統(後)

(前編より)

 

Nature to Wearコレクションの共同デザイナーであるJirat氏とTheera氏は、ファッション愛好家にタイ織物の美しさと心地よさを組み合わせた日用製品を提供することを目指している。Theera氏は織物と天然繊維の色の美しさを徹底的に研究した後、ファッション業界での彼の10年にわたる経験をうまく活用しており、またJirat氏は、自然の素朴さを彼のインスピレーションから描き出し、シンプルで着やすく、カジュアルでありながら、現代の感覚も取り入れたコレクションを生み出している。

「DoiTungの衣服は、綿、リネン、麻のような天然素材から手織りされているだけでなく、タマネギの皮、マカダミア、炭、コーヒー殻、カメリアシネンシス(ツバキ)、樹木、漆、スオウやインディゴなどを使って染色されています。こうして商品に活用することにより、森の周辺に住む村人に現金収入をもたらし、地元の植物や民族伝来の知恵を保全するだけでなく、「ゼロ廃棄」原則を通して環境保護にもつながっています。 DoiTung Nature to Wearコレクションの衣服・アクセサリーのパターンやデザインは、Doi Tung地域の民族の物語そのものなのです。」とJirat氏は言った。

最近になってこの財団の仕事に戻ったTheera氏は、16年前の当時と多くの変化が見られると述べた。「当時私は若かったですし、タイ織物に関する経験はさほどなく、たくさんのアイデアは持っていたものの、この市場についてほとんど知りませんでした。今私はファッションデザインの講師をやりながら、多くの地元の織物職人たちと共に仕事をしています。今がDoiTungに戻るのに一番良い時期でした。私は主にスカーフを担当していますが、その91%が飛ぶように売れていると聞いてうれしく思います。これは私たちが流行発信し、財団が専門的に実施しているマーケティング活動によって、デザイナーがターゲットとしているグループをよく理解できるおかげです。正直なところ我々世代のデザイナーが何もしなければ、どんなタイ織物もこうして活用するのは困難だったでしょう。若い世代のデザイナーにはそういった取り組みを期待できません。DoiTungは軽くて快適で、非常に柔らかい手織綿とその美しい模様で本当に有名となりました。」とTheera 氏は言った。

Mae Fah Luang財団の製品デザイナーであるJackrayu Kongurai氏は、夜明けの太陽の美しさに触発され、新しい始まり、フレッシュと希望をシンボルとするFirst Lightという彼の新しいホームウェアコレクションを誇りに思っている。彼はタイ北部の民族文化に見られる模様や形を組み合わせ、DoiTung Lifestyleの2018年春夏コレクションにおけるインテリア商品や陶器のデザインに落とし込んだ。「First Lightコレクションは、革新的な製織工程から陶器の着色や焼成など、生産のあらゆる段階における職人の喜びが注ぎ込まれています。それは波打つ水面や窓、身の周りに映る朝の光を見た時にわき上げるあなたの気持ちを表しています。より重要なのは、我々が人類や地球の未来を守るためのサステイナブル・デザインという考え方に基づいており、製造プロセスや使用する原材料が人類や地球の未来にマイナスの影響を与えないという点です。」とJackrayu氏は説明した。これらの製品は、DoiTungのプロデザイナーの創造性とともに、天然素材と民族の知恵を何世代にもわたって伝承することになる。その結果として、目を引くと同時に環境にも優しいユニークな特徴を持つ高品質の製品コレクションが生まれた。

Mae Fah Luang財団の代表である ML Dispanadda Diskul氏は、DoiTung Lifestyleのゴールは会社の新人のように若い世代を引き付けることだと強調した。「我々は若者がタイの服を着用するようにしたいと思います。彼らはデザインに関心がある上、DoiTung Lifestyleを作った財団の真の目的を理解くれれば、強固にブランドをサポートし、ソーシャルメディアを通して意識向上を働きかけてくれるでしょう。それは本当に強力なメッセージとなります。」と彼は言った。

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最終更新:2018年06月22日12:03

タイ:糸に込められた伝統(前)

今非常に人気の高いブランドDoiTungが、2018年の新コレクションとして独自の織物とホームインテリア・アクセサリーを発表

王立Mae Fah Luang財団のプロジェクトの中で生まれたDoiTung Lifestyle ブランドは、2018年春夏コレクションにおいて、伝統的なものから小物まであらゆるものを提供しており、ラーマ四世通りにある財団本部で行われた最近の特別イベントにおいて発表された。このブランドは過去1年間で急成長を遂げており、既製服とホームウェアコレクションに新しくNature to Wearというラインナップを追加した。シーナカリン王太后によって設立されたMae Fah Luang財団は、現代的なデザインと革新的な製織・裁断技術の導入を通じて、伝統的なタイ山岳地帯の繊維の持つ自然の美しさと民族の魅力を強調し、現代的なファッション商品に活用してきたことで知られている。

Doi Tung村の人々によってすべて手作りされているこの新しいコレクションは、Kris Yensudchai氏、Sanchaiブランド主宰兼大学講師のJirat Subpisankul氏、TRa.KrisブランドTheera Chantasawat氏ら、DoiTungブランドに15年以上関わってきたタイの有名デザイナーによって生み出された。この既製服コレクションのキーポイントとして、その不均質性による着心地の良さが挙げられるが、これは衣服に使用される糸と織りの技術に大きく依存している。

「DoiTungブランドで使用される繊維は手織りのためとても特徴的ですが、我々はむしろその不均質さを評価しています。我々はこうした特徴を欠陥とはみなしていません。我々独特のやり方において、思考プロセスは糸から織物へ、そのデザインプロセスはデザイナーがイメージや短いメッセージなど、何らかのインスピレーションを得ることから開始されます。そこから繊維デザイナー長兼製織ディレクターのSaithong Auksornsriと話し合い、こうしたアイデアを実物のサンプルに落とし込んで、実生活でどのように機能するかを確認していきます。製織プロセスでは旧式の木製の織機を使用していますが、複数色のパステルカラーの天然染料を組み込んだ斬新な糸を使用しており、この複数色の糸を実際に織ってみると、DoiTungの生地は他に類するものがない商品となります。そのランダム性は、一枚のシャツを他のどんなシャツとも違うものにしてくれます。それが我々の作る既製服の魅力となっています。」

デザインにこだわり、快適性を高めるために軽量の布地を使用していることに加え、DoiTungのReady to Wearコレクションのユニークで魅力的な特徴は、Doi Tung地域に住む人々の民族衣装から受けたインスピレーションに拠っている。「我々は古典的なデザインとモダンなデザインをミックスし、最低限のシルエットで表現することを好みます。こうして作られた服は折り紙のようなものです。それは「デザインのないデザイン」のようだとも言えますが、熟練した地元の職人のおかげで伝統的な民族のセンスも残されています。」と彼は説明した。製織部門を率いるSaithongさん(61歳)は、織機のそばにいることが大好きで、23年間この財団の元で働いてきた経験について誇りに思うと言った。「デザイナー達と働くことは決して容易ではありませんが私はそれが大好きです。教育も満足に受けていない私にとって、大きなチャンスを与えてもらっています。私はデザイナーらの想像力に満ちたアイデアを受け、最初に20×20センチのパターンに起こしますが、それには3〜7日かかります。それがうまくいけば、私は織物部門を管理するKham叔母さんに渡し、生産を全力で開始してもらいます。」と彼女は言った。二人の織り手、左からSaithongさんとKham Kham Tarkhamjingさん(66歳)は、25年以上DoiTungブランドで働いているが、DoiTung繊維の特徴は一本一本の糸の手触りにあると説明した。「私たちは電気を使っていません。私たちの織機は、おばあちゃんの世代から引き継がれた木製のものをまだ使用しています。織り手は30~60歳の年齢層で、私たちはみな柔らかい糸をシンプルな布地に変えるこの作業が大好きです。私はバンコクにそう頻繁に行くことはありませんが、最終製品がどれほど美しく仕上がっているのかを見ると、とても誇りに思います。」

 

(後編につづく)

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最終更新:2018年06月22日10:38

タイ:ジム・トンプソンの家~Thai Silk社のグローバル展開計画(下)

(中編より)

 

Thai Silk社は、トレンドに敏感な織物やファッションを扱う企業の研究や開拓に多額の投資をしている。こうした投資は前工程の農場、さらには蚕にまで及ぶ。同社で扱うシルクの大半はイーサーン地方の、多くは会社が立ち上げから支援した養蚕場から調達している。これらの蚕はより弾力性があり、養蚕家が高品質の生地に必要な強度を備えた絹糸を生産するのを容易にしている。そして最も高価な商品は手織りで生産されている。「あなたはそこに質感だけでなく、歴史などすべてを感じることでしょう。」とEric氏は言った。

イーサーン地方を訪問した際、このシルク会社の製造責任者であるTamrong Sawatwarakul氏は、ジム・トンプソン農場と生産施設を30分かけて紹介してくれた。会社が新規市場へ参入し、複雑なプリント技術を導入するにつれ設備や機械が導入され、この広大な複合施設は徐々に拡大していった。それでもこの会社は、世界のシルク市場においてはほんの小さな地位を占めているに過ぎない。中国は何世紀にもわたりシルク貿易を支配してきた。 Bill氏は、世界の90%が中国原産で、次いでインドが5%を占めると推定している。「タイのシルクは、ほんの1%しか占めていないかもしれません。」と彼は言った。「それ故、我々が今行っていることが大事なのです。我々は真にラグジュアリーな地位を確立する必要があるのです。それがタイ国外で成功する唯一の方法と考えています。」

Thai Silk社では、タイのシルクとその手織り製品の持つ独特な触感を市場に売り込んでいる。「1940年代にジムが発見したのは、タイのシルクは中国や日本で入手できるシルクとは異なるということです。」とEric氏は言った。「それは手で巻き、手織りし、手で染められています。だから表面が一様ではなく、独特の触感を与えているのです。」 以前市場は小品種大量生産に傾いていたが、最近では職人による製品に関心が向けられている、と彼は続けた。「それが我々の強みなのです。」

5年間でThai Silk社はパリ、ロンドン、香港、シンガポール、上海に店舗を出店する予定であると彼は述べた。 ニューヨークでは昨年末、建築家やインテリアデザイナーを対象に卸売を行うために店舗をオープンさせた。Eric氏は定期的に世界を旅し、卸売業を立ち上げて、デザイナーに生地を提供し、百貨店にも商品を卸している。そしてジム トンプソンレストランもグローバルに展開しようと計画している。「ジム・トンプソンの将来は海外にあります。」と彼は言った。

それはうまくいくであろうか?タイ国内に事例を見つけることは難しい。タイのブランドであるHarnnThannは海外展開を行っている。両社ともスパとマッサージを営む提携会社にローションやクリームを提供している。しかしラグジュアリー商品の小売業という面では、実際の成功事例は見当たらない。またグローバル展開によって、驚くような課題がもたらされるかもしれない。「ジム・トンプソンはすでに強力なブランドです。」とバンコクのブランドマーケティング企業QUOCatherine Monthienvichienchai戦略ディレクターは言った。「彼らには素晴らしい商品と歴史があり、創業者の逸話も魅力的です。」だが、観光客に本物の織物商品を扱うタイ企業と見なされるのは一つの価値である一方で、このままでは海外では同様の評価は得られないかもしれない。「彼らは観光用商品の会社ではないことを示して、このイメージを払拭する必要があるかもしれません。」

Bill氏はその指摘を真実と認めて次のように言った。「こうした取り組みはもっと前にやるべきだったかもしれません。それは理にかなった指摘です。我々は今後、ここタイでいくつの店舗を展開できるでしょうか?世界中にタイのシルクの輝きを示すという使命は、70年前からのトンプソンの願いの続きなのです。彼のDNAは我々のすべてに組み込まれています。」

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最終更新:2018年06月17日12:03

タイ:ジム・トンプソンの家~Thai Silk社のグローバル展開計画(中)

(上編より)

 

しかし45年間にわたりビジネスを構築し、空港、ホテルのアーケードやショッピングモールなどの立地に店舗を次々とオープンさせたのは、会長兼マネージングディレクターのBill氏であった。彼は生産を拡大し、商品やアクセサリーのラインナップを拡大した。彼は土地やその他のコストがバンコクと比較してはるかに安い、織物や絹農家のそばとなるイーサーン地方に多くの業務を移管した。 Thai Silkはタイのイーサーン地方に1600エーカーの土地を保有し、その一部をモデル農場として通年で公開している。学校グループに人気のタイシルクの歴史だけでなく、タイで最も広域を占めるイーサーン地方の芸術や文化を紹介している。「ジム・トンプソン氏もきっとこれらすべてを知っていたわけではなかったでしょう。」と彼は冗談げに言った。

近年Bill氏は、1998年に入社して以降国際事業の拡大に注力してきた、彼の48歳の一人息子であるEric氏に多くの権限を委譲した。「彼は未来、私は過去のものです。」とタイの工芸品と布地で飾られた彼の事務所で会った際にBill氏は言った。彼は9月に80歳となるが、まだ毎日粋なスーツを着こなし働いている。彼は自身のルーツであるワシントン州北西部の農業地帯ヤキマの飾らない素敵なユーモアを謙虚さとともにまとっている。彼がトップへ登りつめたのは、そのスキルやスマートさよりもむしろ運が味方したと彼はいつも言っていた。「私は常々成功するには幸運であるかスマートでなければならないと言ってきましたが、私の場合はいつも幸運が味方しました。」

彼はそのように言うが、24歳のシルク商人としてバンコクへ復帰した彼の道のりは災難の連続であった。彼は1年も経たずに資金を使い果たし、落伍者として家に戻った。彼は残ったシルクの在庫を売ろうとトンプソン氏を訪ねた。「するとちょうど誰かが会社を辞めたばかりだったのです。」とBill氏は回顧して言った。「君はタイ語を少し話し、シルクのことも分かるようだと彼は言い、その場で私を雇ったのです。」その日付をBill氏が言った時、我々は二人とも笑った。それは41日、エイプリルフールだったのである。

Bill氏は、トンプソン氏と自分のスタイルはまったく違うと言った。「私は毎日ジムを見てきました。会社はまだ小さく、従業員はおそらく50人程度で、外国人はほんのわずかしかいませんでした。」と彼は言った。「ジムは高いポジションにいましたし、気高い雰囲気をまとっていました。私はスポーツクラブの友人関係などとはまったく異なる集団に属していました。」実際トンプソン氏のビジョンをよりうまく遂行するリーダーの出現を期待するのは困難であった。「我々は今でも、ジムだったらどうするだろうと考えます。」と彼は敗北を認めた。

トンプソン氏は当初から、観光を促進し地域の慈善団体を支援するなど、タイ社会の最大の支援者の1人であった。もちろんタイが繁栄すれば、Thai Silk社の繁栄にもつながる。今日観光客はジム・トンプソン・ハウスを訪れると、繭からシルクを生産し、それを織って商品となるのを見学し、ショールームで購入することができる。その後観光客はタイのレストランで食事ができるが、タイにはジム・トンプソンのレストランが6店舗あり、シンガポールには1店舗ある。さらに日本にもフランチャイズ店が2店舗ある。

トンプソン氏は東南アジア全域にわたるアートやアンティーク品の情熱的な収集家であったため、2階はアートギャラリーとなっている。その中には現代的な作品もあるが、それらはギャラリーを歩いてきたEric氏のコレクションである。彼は1992年からアートを収集し始め、250300点の作品を所有していると彼は言った。コレクションは家族ぐるみで行われており、彼のタイ人の母親である故Patsri Bunnagさんは有名なファッションコレクターであり、夫と離婚した後フランスのアートコレクターであるJean Michel Beurdeley氏と再婚した。「それは中毒のようでした。でも良い中毒ですが。」と笑ってEric氏は言った。2年前にEric氏とBeurdeley氏は、Maiiam Contemporaryアート美術館をチェンマイにオープンさせた。家族の持つコレクションに加え、この美術館では多くの先鋭的なタイの作品の展示会を開催し、メディアの注目を集めている。

トンプソン氏は当初、タイで滅びゆく伝統的な製織者に関心を寄せた。彼はBan Krua地区に住んでいた製織者たちと出会い、会社を始めてそこに家を建てた。彼は製織者たちを雇い、Thai Silk社の株式を分け与えた。そのため当時の製織者の家族らは、この非公開会社の株式の5%以上を所有しているという。(Booths一族は、自身の保有する株式や他の株主の持分を開示することを拒否している。)

 

(下編につづく)



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最終更新:2018年06月17日06:03

タイ:ジム・トンプソンの家~Thai Silk社のグローバル展開計画(上)

ジム・トンプソン氏がマレーシアのジャングルで消えてから半世紀経った今、このアメリカ人スパイはタイのシルク貴族として伝説となっている。そして映画や本で登場し続けるだけでなく、忽然と姿を消した事件について繰り返し取り上げられたり、新説が提示されたりしている。トラに食べられたのか? CIAや共産党の反勢力に殺害されたのか?あるいは61歳の彼は単に道に迷い、渓谷にでも転落したのか?

その事件は東南アジアで最も謎に満ちたミステリーの一つであるが、同時に彼は最も個性的な人物の一人でもあった。トンプソン氏はタイで有名なアメリカ人美食家であり、素晴らしいアートコレクションを所有し、影響力を持つ友人や団体との交友関係を持っていたことが、グレートギャツビースタイルの名声を彼に授けた。一方で彼は、東南アジアにおけるシルク貿易を復活させた優秀な起業家でもあった。そして今ではこの事業はグローバルへ向かっている。

それは、トンプソン氏の遺産であるThai Silk社を所有するBill & Eric Booth父子のビジョンである。Thai Silk社はタイ全土に30以上の店舗、2600人の従業員、年間売上高で9000万米ドルを誇るタイの企業である。トンプソン氏のバンコクにある邸宅は、池を囲んでいくつかの古い木造住宅が並び、アート作品を展示して、タイで観光客が最も訪れる文化財の1つである有名なジム・トンプソン・ハウスとなっている。

しかしこうしたタイでの成功は、海外にも伝播しているであろうか? Thai Silk社は1999年にシンガポールに海外初の店舗をオープンさせ、2007年にはアジアを超えてドイツに貿易事務所、2013年にパリに1店舗を出店した。そしてアシスタント・マネージングディレクターのEric氏は、アトランタを本拠地にアメリカの事業を立ち上げるのに数年間を費やした。今、彼はこうしたグローバル展開を加速させたいと考えている。「我々はタイで最も有名なブランドのひとつですが、海外では誰も知りません。」と彼は言う。

2016年にBooth父子は事態を変えるために5ヵ年戦略を打ち出し、新しいCEOのGerald Mazzalovo氏を迎えたのである。「ジム・トンプソンは、タイ初のグローバル・ラグジュアリーブランドとなる可能性があります。」と彼は自信を持って述べた。彼は生涯に渡りSalvatore Ferragamo、Loewe、Bally、Robert Clergerieなどのラグジュアリーブランドを経営してきたスペシャリストである。彼は、何十年もの間家族経営であったこのタイ企業にとって、初の外部からのCEOとなる。

タイ国外では、ほとんどの人が向こう見ずな創業者の存在を通じてThai Silkを知っている。デラウェア州グリーンビル出身のトンプソン氏は、プリンストン大学を卒業し、建築家となった。その後第二次世界大戦の間、CIAの前身機関である戦略諜報局(OSS)に勤務した。彼はヨーロッパやアフリカで諜報活動を行った後、タイを日本軍の占領から解放する作戦に従事するためにアジアに送り出された。

その後彼は、戦争終結に伴い組織を離れた。彼はアジアの独立運動支援を主張したが、ワシントンの本部はベトナムなどの反共産主義体制を支持した。組織に幻滅したトンプソンは、織物の商売に従事することを決めた。彼の父親は織物製造者であり、1947年に会社を設立していたためである。しかし彼は、冷戦政策について歯に衣を着せずに批判を続けたので、CIAやその他アジアの同盟グループがベトナム戦争絶頂期のマレーシアで彼を沈黙させたと多くの人々は推測している。

トンプソン氏は1967年3月26日に姿を消したが、子供はいなかった。会社の彼の持ち分は甥に相続され、1973年にトンプソン氏の代理人が死去した後、その甥と他の投資家は当時最高職位にあったBill氏を責任者に任命した。トンプソン氏と同様、Bill氏も米軍からタイに派遣されていた。彼は1959年に軍人としてタイに入り、3年後に除隊となってからバンコクに再度戻った。

トンプソン氏は、大量生産に押されていたこの地域のシルク製織技術を復活させたため、広く尊敬されている。「手織りはここでは絶滅寸前ですが、悲しむべきことに同じことが各所で起きています。」とビエンチャンでLao Textilesを運営し、シルクと織物に関する地域有数の専門家であるCarol Cassidy氏は述べた。「ジム・トンプソンは類まれなるセンスを持っていました。彼は間違いなく、シルクと工芸品の格を上げるのに貢献しました。」

 

(中編につづく)

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最終更新:2018年06月16日13:35

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