インドシナニュース

タイ:ジム・トンプソンの家~Thai Silk社のグローバル展開計画(下)

(中編より)

 

Thai Silk社は、トレンドに敏感な織物やファッションを扱う企業の研究や開拓に多額の投資をしている。こうした投資は前工程の農場、さらには蚕にまで及ぶ。同社で扱うシルクの大半はイーサーン地方の、多くは会社が立ち上げから支援した養蚕場から調達している。これらの蚕はより弾力性があり、養蚕家が高品質の生地に必要な強度を備えた絹糸を生産するのを容易にしている。そして最も高価な商品は手織りで生産されている。「あなたはそこに質感だけでなく、歴史などすべてを感じることでしょう。」とEric氏は言った。

イーサーン地方を訪問した際、このシルク会社の製造責任者であるTamrong Sawatwarakul氏は、ジム・トンプソン農場と生産施設を30分かけて紹介してくれた。会社が新規市場へ参入し、複雑なプリント技術を導入するにつれ設備や機械が導入され、この広大な複合施設は徐々に拡大していった。それでもこの会社は、世界のシルク市場においてはほんの小さな地位を占めているに過ぎない。中国は何世紀にもわたりシルク貿易を支配してきた。 Bill氏は、世界の90%が中国原産で、次いでインドが5%を占めると推定している。「タイのシルクは、ほんの1%しか占めていないかもしれません。」と彼は言った。「それ故、我々が今行っていることが大事なのです。我々は真にラグジュアリーな地位を確立する必要があるのです。それがタイ国外で成功する唯一の方法と考えています。」

Thai Silk社では、タイのシルクとその手織り製品の持つ独特な触感を市場に売り込んでいる。「1940年代にジムが発見したのは、タイのシルクは中国や日本で入手できるシルクとは異なるということです。」とEric氏は言った。「それは手で巻き、手織りし、手で染められています。だから表面が一様ではなく、独特の触感を与えているのです。」 以前市場は小品種大量生産に傾いていたが、最近では職人による製品に関心が向けられている、と彼は続けた。「それが我々の強みなのです。」

5年間でThai Silk社はパリ、ロンドン、香港、シンガポール、上海に店舗を出店する予定であると彼は述べた。 ニューヨークでは昨年末、建築家やインテリアデザイナーを対象に卸売を行うために店舗をオープンさせた。Eric氏は定期的に世界を旅し、卸売業を立ち上げて、デザイナーに生地を提供し、百貨店にも商品を卸している。そしてジム トンプソンレストランもグローバルに展開しようと計画している。「ジム・トンプソンの将来は海外にあります。」と彼は言った。

それはうまくいくであろうか?タイ国内に事例を見つけることは難しい。タイのブランドであるHarnnThannは海外展開を行っている。両社ともスパとマッサージを営む提携会社にローションやクリームを提供している。しかしラグジュアリー商品の小売業という面では、実際の成功事例は見当たらない。またグローバル展開によって、驚くような課題がもたらされるかもしれない。「ジム・トンプソンはすでに強力なブランドです。」とバンコクのブランドマーケティング企業QUOCatherine Monthienvichienchai戦略ディレクターは言った。「彼らには素晴らしい商品と歴史があり、創業者の逸話も魅力的です。」だが、観光客に本物の織物商品を扱うタイ企業と見なされるのは一つの価値である一方で、このままでは海外では同様の評価は得られないかもしれない。「彼らは観光用商品の会社ではないことを示して、このイメージを払拭する必要があるかもしれません。」

Bill氏はその指摘を真実と認めて次のように言った。「こうした取り組みはもっと前にやるべきだったかもしれません。それは理にかなった指摘です。我々は今後、ここタイでいくつの店舗を展開できるでしょうか?世界中にタイのシルクの輝きを示すという使命は、70年前からのトンプソンの願いの続きなのです。彼のDNAは我々のすべてに組み込まれています。」

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最終更新:2018年06月17日12:03

タイ:ジム・トンプソンの家~Thai Silk社のグローバル展開計画(中)

(上編より)

 

しかし45年間にわたりビジネスを構築し、空港、ホテルのアーケードやショッピングモールなどの立地に店舗を次々とオープンさせたのは、会長兼マネージングディレクターのBill氏であった。彼は生産を拡大し、商品やアクセサリーのラインナップを拡大した。彼は土地やその他のコストがバンコクと比較してはるかに安い、織物や絹農家のそばとなるイーサーン地方に多くの業務を移管した。 Thai Silkはタイのイーサーン地方に1600エーカーの土地を保有し、その一部をモデル農場として通年で公開している。学校グループに人気のタイシルクの歴史だけでなく、タイで最も広域を占めるイーサーン地方の芸術や文化を紹介している。「ジム・トンプソン氏もきっとこれらすべてを知っていたわけではなかったでしょう。」と彼は冗談げに言った。

近年Bill氏は、1998年に入社して以降国際事業の拡大に注力してきた、彼の48歳の一人息子であるEric氏に多くの権限を委譲した。「彼は未来、私は過去のものです。」とタイの工芸品と布地で飾られた彼の事務所で会った際にBill氏は言った。彼は9月に80歳となるが、まだ毎日粋なスーツを着こなし働いている。彼は自身のルーツであるワシントン州北西部の農業地帯ヤキマの飾らない素敵なユーモアを謙虚さとともにまとっている。彼がトップへ登りつめたのは、そのスキルやスマートさよりもむしろ運が味方したと彼はいつも言っていた。「私は常々成功するには幸運であるかスマートでなければならないと言ってきましたが、私の場合はいつも幸運が味方しました。」

彼はそのように言うが、24歳のシルク商人としてバンコクへ復帰した彼の道のりは災難の連続であった。彼は1年も経たずに資金を使い果たし、落伍者として家に戻った。彼は残ったシルクの在庫を売ろうとトンプソン氏を訪ねた。「するとちょうど誰かが会社を辞めたばかりだったのです。」とBill氏は回顧して言った。「君はタイ語を少し話し、シルクのことも分かるようだと彼は言い、その場で私を雇ったのです。」その日付をBill氏が言った時、我々は二人とも笑った。それは41日、エイプリルフールだったのである。

Bill氏は、トンプソン氏と自分のスタイルはまったく違うと言った。「私は毎日ジムを見てきました。会社はまだ小さく、従業員はおそらく50人程度で、外国人はほんのわずかしかいませんでした。」と彼は言った。「ジムは高いポジションにいましたし、気高い雰囲気をまとっていました。私はスポーツクラブの友人関係などとはまったく異なる集団に属していました。」実際トンプソン氏のビジョンをよりうまく遂行するリーダーの出現を期待するのは困難であった。「我々は今でも、ジムだったらどうするだろうと考えます。」と彼は敗北を認めた。

トンプソン氏は当初から、観光を促進し地域の慈善団体を支援するなど、タイ社会の最大の支援者の1人であった。もちろんタイが繁栄すれば、Thai Silk社の繁栄にもつながる。今日観光客はジム・トンプソン・ハウスを訪れると、繭からシルクを生産し、それを織って商品となるのを見学し、ショールームで購入することができる。その後観光客はタイのレストランで食事ができるが、タイにはジム・トンプソンのレストランが6店舗あり、シンガポールには1店舗ある。さらに日本にもフランチャイズ店が2店舗ある。

トンプソン氏は東南アジア全域にわたるアートやアンティーク品の情熱的な収集家であったため、2階はアートギャラリーとなっている。その中には現代的な作品もあるが、それらはギャラリーを歩いてきたEric氏のコレクションである。彼は1992年からアートを収集し始め、250300点の作品を所有していると彼は言った。コレクションは家族ぐるみで行われており、彼のタイ人の母親である故Patsri Bunnagさんは有名なファッションコレクターであり、夫と離婚した後フランスのアートコレクターであるJean Michel Beurdeley氏と再婚した。「それは中毒のようでした。でも良い中毒ですが。」と笑ってEric氏は言った。2年前にEric氏とBeurdeley氏は、Maiiam Contemporaryアート美術館をチェンマイにオープンさせた。家族の持つコレクションに加え、この美術館では多くの先鋭的なタイの作品の展示会を開催し、メディアの注目を集めている。

トンプソン氏は当初、タイで滅びゆく伝統的な製織者に関心を寄せた。彼はBan Krua地区に住んでいた製織者たちと出会い、会社を始めてそこに家を建てた。彼は製織者たちを雇い、Thai Silk社の株式を分け与えた。そのため当時の製織者の家族らは、この非公開会社の株式の5%以上を所有しているという。(Booths一族は、自身の保有する株式や他の株主の持分を開示することを拒否している。)

 

(下編につづく)



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最終更新:2018年06月17日06:03

タイ:ジム・トンプソンの家~Thai Silk社のグローバル展開計画(上)

ジム・トンプソン氏がマレーシアのジャングルで消えてから半世紀経った今、このアメリカ人スパイはタイのシルク貴族として伝説となっている。そして映画や本で登場し続けるだけでなく、忽然と姿を消した事件について繰り返し取り上げられたり、新説が提示されたりしている。トラに食べられたのか? CIAや共産党の反勢力に殺害されたのか?あるいは61歳の彼は単に道に迷い、渓谷にでも転落したのか?

その事件は東南アジアで最も謎に満ちたミステリーの一つであるが、同時に彼は最も個性的な人物の一人でもあった。トンプソン氏はタイで有名なアメリカ人美食家であり、素晴らしいアートコレクションを所有し、影響力を持つ友人や団体との交友関係を持っていたことが、グレートギャツビースタイルの名声を彼に授けた。一方で彼は、東南アジアにおけるシルク貿易を復活させた優秀な起業家でもあった。そして今ではこの事業はグローバルへ向かっている。

それは、トンプソン氏の遺産であるThai Silk社を所有するBill & Eric Booth父子のビジョンである。Thai Silk社はタイ全土に30以上の店舗、2600人の従業員、年間売上高で9000万米ドルを誇るタイの企業である。トンプソン氏のバンコクにある邸宅は、池を囲んでいくつかの古い木造住宅が並び、アート作品を展示して、タイで観光客が最も訪れる文化財の1つである有名なジム・トンプソン・ハウスとなっている。

しかしこうしたタイでの成功は、海外にも伝播しているであろうか? Thai Silk社は1999年にシンガポールに海外初の店舗をオープンさせ、2007年にはアジアを超えてドイツに貿易事務所、2013年にパリに1店舗を出店した。そしてアシスタント・マネージングディレクターのEric氏は、アトランタを本拠地にアメリカの事業を立ち上げるのに数年間を費やした。今、彼はこうしたグローバル展開を加速させたいと考えている。「我々はタイで最も有名なブランドのひとつですが、海外では誰も知りません。」と彼は言う。

2016年にBooth父子は事態を変えるために5ヵ年戦略を打ち出し、新しいCEOのGerald Mazzalovo氏を迎えたのである。「ジム・トンプソンは、タイ初のグローバル・ラグジュアリーブランドとなる可能性があります。」と彼は自信を持って述べた。彼は生涯に渡りSalvatore Ferragamo、Loewe、Bally、Robert Clergerieなどのラグジュアリーブランドを経営してきたスペシャリストである。彼は、何十年もの間家族経営であったこのタイ企業にとって、初の外部からのCEOとなる。

タイ国外では、ほとんどの人が向こう見ずな創業者の存在を通じてThai Silkを知っている。デラウェア州グリーンビル出身のトンプソン氏は、プリンストン大学を卒業し、建築家となった。その後第二次世界大戦の間、CIAの前身機関である戦略諜報局(OSS)に勤務した。彼はヨーロッパやアフリカで諜報活動を行った後、タイを日本軍の占領から解放する作戦に従事するためにアジアに送り出された。

その後彼は、戦争終結に伴い組織を離れた。彼はアジアの独立運動支援を主張したが、ワシントンの本部はベトナムなどの反共産主義体制を支持した。組織に幻滅したトンプソンは、織物の商売に従事することを決めた。彼の父親は織物製造者であり、1947年に会社を設立していたためである。しかし彼は、冷戦政策について歯に衣を着せずに批判を続けたので、CIAやその他アジアの同盟グループがベトナム戦争絶頂期のマレーシアで彼を沈黙させたと多くの人々は推測している。

トンプソン氏は1967年3月26日に姿を消したが、子供はいなかった。会社の彼の持ち分は甥に相続され、1973年にトンプソン氏の代理人が死去した後、その甥と他の投資家は当時最高職位にあったBill氏を責任者に任命した。トンプソン氏と同様、Bill氏も米軍からタイに派遣されていた。彼は1959年に軍人としてタイに入り、3年後に除隊となってからバンコクに再度戻った。

トンプソン氏は、大量生産に押されていたこの地域のシルク製織技術を復活させたため、広く尊敬されている。「手織りはここでは絶滅寸前ですが、悲しむべきことに同じことが各所で起きています。」とビエンチャンでLao Textilesを運営し、シルクと織物に関する地域有数の専門家であるCarol Cassidy氏は述べた。「ジム・トンプソンは類まれなるセンスを持っていました。彼は間違いなく、シルクと工芸品の格を上げるのに貢献しました。」

 

(中編につづく)

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最終更新:2018年06月16日13:35

中国からベトナムへ、低付加価値労働移動の流れ

こんな諺がある、「抵抗のない方へ流れていくと川は曲がりくねった川になる」。この「川は曲がりくねった川になる」の部分を「労働力は安価になる」に置き換えると、極めて信頼性の高い経済の経験則になる。

繊維・縫製産業は常に「最も抵抗の少ない道」を求めてきた。同産業はかつて米国ニューイングランドの経済を支えていたが、1920年代に入り、労働者が賃金の引き上げを求めてストライキを起こし始めると、まだ人々の考え方に柔軟性の残る南へと移動した。

米国南部では長い間繁栄に恵まれ、1960年頃には、ノースカロライナ州だけでも50万5000人もの縫製労働者がいたという。

だがその頃、米国南部の縫製労働者らは基準を下回る賃金や労働条件に不満を持ち始め、労働組合を結成したりストライキを起こしたりしていた。これに見切りを付けた工場主らは工場を閉鎖し、中国、インドネシア、ベトナム、バングラデシュ、メキシコなど発展途上国へと拠点を移した。これらの国々では、人々は貧困にあえぎ、仕事の内容や賃金の額にかかわらず職を求めていた。

ジョージア、ノースカロライナ、テネシー、アラバマ、バージニアなどの各州では、2002~12年の間に、平均59%の縫製労働者が職を失った。かつてこれらの州で行われていた縫製業は、そのほとんどが中国へと移動した。

だが近年、川の流れが再び変わりつつある。中国での労働力はもはや安価ではなく、「最も抵抗の少ない道」は現在、ベトナムへと続いている。ベトナムの縫製労働者の賃金は、中国の38%だといわれている。

米国商務省国際貿易局(ITA)のデータによると、ベトナム繊維・縫製産業の対米輸出額は2012年、77億ドルを達成し、13年には88億ドル、今年1~9月には98億ドルにまで達した。

ベトナムはまた、米国の靴・履物市場にも参入している。靴やブーツ、スリッパ、サンダルなどの対米輸出額は2008年、12億ドルとなり、13年には29億ドルとなった。

こうした状況下、米国縫製産業では、ベトナムとの貿易協定を阻止したい考えだ。協定を結べば、米国製造業が海外移転を余儀なくされる可能性があるからだ。だがこれまでのところ、両国で結ばれている貿易協定はない。

 

<いまだ交渉中の貿易協定>

環太平洋経済連携協定(TPP)では、米国を始めとする計11カ国、およびベトナムが現在交渉に参加している。中国は、依然として繊維・縫製・履物の各産業をリードしているが、交渉には参加していない。

繊維・衣料製品に対する米国関税は現在0.8~37.5%だが、TPPが締結されれば、これらの税率は加盟国に対して撤廃されるか、ほぼ0%に近い税率となる。

こうした状況を鑑みると、米国縫製産業が、締結に反対するのも無理はない。締結後には、これまで以上に多くのランニング・シューズやカプリパンツ、スウェット・シャツなどの製品が、せきを切ったように、ベトナムから輸入されることになるだろう。

 

<交渉の背景>

全米繊維団体協議会(NCTO)によれば、米国繊維・縫製産業では約37万3000人の労働者が働いているが、そのうち生産に従事しているのはわずか1万2000人だという。

一方、米国靴・履物産業の労働者は約30万人だが、生産に従事しているのはわずか3000~7500人である。

だが実際のところ、こうした数字は米国履物流通小売業者協会(FDRA)の1職員による推定に過ぎず、確かなデータは存在していない。産業従事者の減少があまりにも激しく、米国労働局ももはや人数の把握さえしようとしていないからである。

これらの産業の一体何がいけなかったのだろうか。わずかだが、残った労働者のために何か対策を取ろうとはしないのか。

対策は取っている。だが米国繊維・縫製・履物産業は近年、専門的な業務に従事しているため、海外への移転が難しくなっているのだ。

米国縫製産業ではもはや、シャツやスカートの大量生産は行っていない。生産よりもむしろ、医療用機器の応用、省エネ対策、スポーツでのけがの予防や、その他現代に必要とされる業務に特化している。

これらの職業は先端技術職で、従事する者にも高度な技術が必要とされる。

ベトナムの繊維・履物産業では現在、労働者が単純労働を行っているが、いずれ賃金の引き上げを要求し、今よりも高い賃金を手にする日が来るだろう。そのとき、ベトナムを生産拠点としてきた米国企業は、人々が職を求めただも同然で働く別の国へと再び拠点を移すのである。

今後TPPを締結したとしても、その状況は変わらないだろう。

 

 

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最終更新:2014年12月06日06:00

カンボジア:50億ドルの繊維産業の賃金闘争、解決へ向かう(後)

(前編より)

 

1月に起きた死亡事故は、繊維部門において初めての出来事ではなかった。非政府団体である香港のアジア•モニター•リソース•センターの報告書によると、2012年2月カンボジア当局は、プーマに商品を供給している工場で抗議していた3人の労働者を射殺した。

昨年11月にはリーバイ•ストラウスやギャップ、H&Mに商品を供給している工場で働く労働者らの抗議行進で、軍警察が10人を撃ち、1人が死亡した。

8月の土曜日、Chhim氏と他の人たちはYakjinの古い工場で仕事に復帰した。(第二の工場は2012年何マイルも離れたところにオープンした。)カンボジアと韓国の企業は示談時動揺した。12ほどの企業がプノンペン郊外の道路のあちこちに存在する。ランチタイムになると労働者はどんどん外へ出て、行商人は工場門の外の屋台でスープ、ご飯、バゲット、生肉や野菜を販売する。未舗装道路やのついた道路に沿って、下水溝の臭いとハエが食料の周りで張り合っていた。

Chhim氏は彼の近くの部屋に戻って、他の人と同様に廊下に横たわり休憩を取る。彼は外で立ち止まり、ロープにかけて乾燥させているジーンズも含めて、いくつか衣服のポケットの中を確認した。そこがChhim氏3人のルームメイトの共有鍵の保管場所なのだ。

内部に盗む人はあまりいない。トイレを含む9×10フィートのスペースの一角には、小さなストーブがあり、食器が山積みされている。別の一角にはミシンや衣類を詰めた小さなビニール袋がある。一つの壁は、カンボジアやタイ、韓国の女優のポスターで埋め尽くされており、その反対側には緑の蚊帳が巻き上げられている。

ベトナムの国境に接するスヴァイリエン州出身であるChhim氏は、プノンペンに移りYakjinで仕事を見つけた姉の足跡をたどって、3年前に仕事を求めてカンボジアに来た。Chhim氏の姉は今もそこに滞在しており、彼らの両親はかろうじて彼らの6人の子供を養うことができる農家である。

Chhim氏の仕事は週6日一日8時間(残業をする場合はそれ以上)立ち続け、衣服の数を数え箱に梱包する作業である。

昇格や成長のチャンスもわずかにある。彼によれば、投獄後に復帰して以来、工場監督者は、彼が支持している労働組合の一部である別のチームに移してほしいという彼の要求を拒否している。

「彼らは繰り返し組合に加入しないよう私に指示します。」とChhim氏は言う。

(FORBES ASIAに示された、カーライル共同設立者のDavid Rubenstein氏がCalpersの職員に書いた4月25日の手紙で、Yakjinは抗議行動後、従業員らが組合を結成する権利を会議で再確認したと、Rubenstein氏は述べている。)

Chhim氏は30時間の残業をしているため、月およそ150ドルを稼いでいる。彼と姉とで月100ドルを家に送っている。

Chhim氏は、刑や懲役があったにもかかわらず、Yakjinに戻れたことに満足しているが、彼と一緒にバーの後ろにいたCanadia地区の労働者Pang Vanny氏は、まだ幻滅している。彼は1月3日に彼の町で起こったデモでひどい暴力を受けた。Pang氏は小さい営舎に住んでいて、釈放後香港が所有する会社にしぶしぶ再雇用されたが、彼はもう十分だと言う。

「色んなことが起こった後、私はもう工場で仕事をしたくないのです。しかしお金が必要だし、他に何もできません。」と彼は言う。

労働者の不潔と貧弱な食事、換気不良、高温、仕事上の有毒ガスがいくつかの工場での集団気絶の報告につながっていると、活動家らは言う。

「集団気絶は世界のどの工場でも起こっていますが、なぜカンボジアだけが唯一報告されてしまうのでしょう?それを集団気絶と言うのは間違っています。気絶しているのは2、3、4、5人です。他の人たちは吐き気や不快を感じ始めているだけです。たった1つの事件で133人が診療所に送られましたが、彼らは気絶していません。しかし私たちは詳細に調査しています。」と、カンボジア衣料製造協会(GMAC)議長Loo氏は答える。

2月、政府は最低賃金を月80ドルから100ドルに上げることに合意したが、2014年に要求されている160ドルよりはるかに少ない。

1月以来政府は集会を禁止しており、労働省が新しい労働組合を承認することが遅れている。企業は工場レベルの労働組合のメンバーや指導者である168人の労働者(彼らの多くは海外バイヤーからの圧力を受けた後に復職した)の雇用を終了すると、活動家は言う。一方Loo氏のグループは、逸失利益による損害賠償と物的損害疑惑を求めて、組合員に対して訴訟を提起した。

そして、まだ終わっていない。来年の賃金引き上げのための交渉は、この秋に開始される。組合は月177ドルを要求している。オーナーらはそんな余裕はないと述べている。間接的な投資家として米国最大の公的年金基金があるからといって何が変わるのか?新しい服を待っている世界にはもっと強い力があるかもしれない。

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最終更新:2014年09月16日14:00

カンボジア:50億ドルの繊維産業の賃金闘争、解決へ向かう(前)

8月中旬、米国の弁護士のチームである未公開株式投資会社カーライル•グループは、カンボジアの首都で韓国の衣料品メーカーの工場運営について調べるため、プノンペンに到着した。Yakjinホールディングスは、今年初めに国を揺るがした労働争議の中心会社だった。そのストライキでは軍の弾圧で5人が死亡し、38人が負傷した、1人は依然として行方不明である。

カーライルの重要投資家―カリフォルニア州職員退職年金基金(CALPERS)はそれ以来、労働紛争と軍事力の使用に関する問題を提起している。カーライルは年金基金を得て、事後大体8ヶ月後に、正確に何が起こったのかを調べるためにチームを送り込んだ。(同社は調査結果についての電子メールの問い合わせに応答しなかった。)

1月2日、Chhim Thoeun氏はプノンペンの数千人の縫製労働者と共にストライキに出た。デモ隊は行進しながら、最低賃金引上げの支援を求め叫んだ。賃金引上げがあって、残業すれば、やっと繊維産業で暮らしていけると。

Chhim氏(27歳)はYakjin社の従業員だった。カーライル•グループはファンドの1つを通じ同社の70%の株を手に入れていた。Chhim氏はYakjin工場の外で行われた集会に参加し午前中を過ごした。彼はYakjin工場で一年間雇われていた。他の者は逮捕されたが、彼は野党の国会議員が工場にいることを聞き自分の部屋に戻っていた。 Chhim氏は5分間歩いて引き返したが、すぐに軍服を着た5人の男性と私服を着た2人の男性に囲まれた。彼らはChhim氏を地面に叩きつけ、警棒で殴り、重い軍靴で蹴った、とChhim氏は語る。

「私は自分の手で自分の頭を覆っていました。」と彼は振り返る。ひどく叩かれ続け、終わるまで数分間かかったと彼には思えた。「私の手は打撲し、皮膚や関節は引き裂かれ血だらけになりました。」

ニュース報道や活動家らによると、その日とあくる日、軍はそこでの抗議を鎮圧し、市内の別の場所―120近い工場があるCanadia工業団地で銃を発砲した。

政府が月額最低賃金を倍の160ドルにすることを拒否し、デモはクリスマスイブ―カーライルがYakjinの株式取得を発表した同じ日に始まった。Chhim氏は逮捕され5ヶ月間投獄された23人のうちの一人だった。

1500万人口の半分が25歳未満であるカンボジアは、アジアの最貧国の一つである。しかし、カンボジアは早くに世界貿易機関(WTO)の加盟資格を得ており、建設、農業、観光だけでなく繊維分野などで、2010年以来平均して7%近くの成長率を記録している。

縫製業従事者人口は40万人。昨年、繊維産業は国内総生産(GDP)のほぼ3分の1を占め、50億米ドルの商品輸出につながったと、英国に本拠を置くリスク分析会社Maplecroft社は述べている。韓国、大中華圏からの企業が工場の多くを所有している。数十万人を絶望的な貧困から救いだしているが、カンボジアの繊維産業はこの地域で最も賃金が低く(中国ははるかに高い)、労働条件は改善されない。

カンボジアでの法の前での平等の原則は特に疑わしく、昨年1月軍が縫製労働者の抗議に呼び出されたのも、韓国人雇用者の命によると言う者もいた。(詳細に対する質問にも、Yakjinの女性広報担当者は、先に述べた「Yakjinは直接的にも間接的にもこの悲劇に関与していません。私たちは韓国政府にもカンボジア政府にも介入するよう依頼しませんでした。」という言を繰り返すばかりだった。)

おそらくベトナム近隣諸国の外資系工場に対し最近起こった暴力事件を思い浮かべて、その行動を正当化する者もいた。「労働組合は罰を受けずに活動することが許されており、それが彼らを過激化させたのです。」カンボジア衣料品製造協会(GMAC)議長Ken Loo氏は述べている。「政府はデモが一週間以上続くことを許していました。それで、デモ参加者の活動がひどくなって、……もし政府が取り締まっていなければ、事態はもっと悪くなっていたでしょう。」

「政府の待機時間が長ければ長いほど、より大きな軍を使わなければなりません。」とLoo氏は言い、「一部の労働組合は私たちに、デモ参加者が銃を持っていないなら、警察は銃を使うべきではないと言ってきました。そんなことを言うなんて、頭がおかしいです。」と言い足した。

創立35周年になるYakjin社は、30%の株を持つ最高経営責任者(CEO)Yong-Ro Cho氏の父によって設立された。同社はギャップ(オールドネイビーやバナナ•リパブリックなどの姉妹メーカーを含む)、アメリカンイーグルアウトフィッターズ、ウォルマートやヴィクトリアズ•シークレットの商品を製造している。昨年9月の決算では、過去最高の3億6150万ドルの収益をあげ、1800万ドルの利益をもたらした。

Yakjin社は、カンボジアが懐疑論に直面しながらも世界貿易機関(WTO)に加盟した直後の2005年にプノンペンで最初の工場を設立した。WTO加盟の地位は、通常、確立された経済を反映して、外国資本の流入を助けるだが、「カンボジアでは、労働条件の大幅改善に失敗しました。」とMaplecroft社上級アジアアナリストRyan Aherin氏は述べる。「労働者は投資が入ってくる状況にますますうんざりしています。彼らはそれに匹敵するほどの利益を享受していません。」

 

(後編に続く)

 

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最終更新:2014年09月15日11:54

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