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ミャンマー縫製工場は米国の輸入解禁に望みをかける

弱い米ドルの為替レートと戦った悲惨な一年の後、縫製メーカーは、欧米の制裁緩和に望みをかけて、生産を押し上げていこうとしていると業界関係者は言う。

米国国務長官ヒラリー・クリントン女史の12月初旬のミャンマーの訪問を受けて、希望が出てきた。

「繊維産業にとって、きっと良き時代の始まりであると思います。繊維産業は多くの雇用を作り出すので、政府はできるかぎりのことをすると思います。」とHlaing Tharyar工業団地に2つの工場を経営していて、さらにもう2工場を管理しているLat War社常務U Khin Maung Aye氏は言う。

米国が制裁を緩和すれば、とくに、ミャンマー製品の輸入を解除すれば、米国のアパレル注文はすぐに増えるだろう。

制裁適用前の2000年から2003年までに、米国市場はミャンマー製衣料品輸出の50%を占めたと彼は言う。

制裁以来、多数の工場が稼働を停止し、繊維業界は代わりにやむを得ずアジア市場に焦点を当てたと言い添える。

「制裁が緩和されるなら、2003年以降閉められた工場の多くが再開できます。既に再開の準備をしている工場もあります。」と言う。

「しかし、実際は、制裁が緩和されても、おそらく注文を受けたいと思っても、うまくオーダーを捌ける操業中の工場は不足気味だと思います。」と言い足した。

ミャンマー縫製業者協会の幹部によれば、ベトナムは1年間で縫製業の雇用者数を1万から10万に上げており、ミャンマーもこれに倣うべきであると言う。

「ミャンマーの繊維産業でも雇用人口に関してベトナムに並ぶことができると思います。」と彼は言う。

仮に米国の制裁が緩和されなくても、韓国と日本が注文を着実に増加させているので、業界の未来は明るい。

しかしながら、U Khin Maung Aye氏は、昨年、ミャンマーの通貨チャットに対して25%も下げた弱い米ドルの影響は、顧客を追い払うことなくても、損失の予約にしかならないと言う。

生活費が上昇しているので、スタッフ維持のためには、埋め合わせに会社は給料を上げなければならないと彼は言う。しかし、同時に、会社は価格を上げることもできず、かといって他国に注文が流れるのも望まない。

「労働力の規模を減少させたくないので、たいへんな一年でした。時には、損をすることがわかっていても注文を受けたこともあります。」と彼は言った。

「為替レートについては、考えたくもありません。それが今年の最大の問題でしたから。でも、制裁が緩和されるだろうという望みを抱きながら、工場を稼働させ続け、拡張すらしてきました。」と彼は付け加えた。

同時に、ミャンマーはバングラデシュとの競争に直面している。バングラデシュも、廉価な労働力をふんだんに抱え、主要輸出市場である欧州連合(EU)の関税免除を享受している。

台湾の銀行から提供される低利融資により、台湾企業の多数がミャンマー繊維産業への投資を奨励されており、積極的であるとも付け足した。しかし、国内企業は、外国企業が近づいてきた際には用心しないと利益を失う可能性があるとも警告した。

「国内企業のビジネスマンは外国の会社と一緒に働く際には、事前にしっかり準備をしないと、利益はほとんどないかもしれません。」と彼は言う。

U Khin Maung Aye氏は、2011年には会社のオーダーは、韓国、日本、イタリア、ドイツの会社に衣類を供給する契約を取れたので、対前年比30%以上あったと言う。

「しかし、制裁前には、注文の90%は米国からでした。」

Hlaing Tharyar郡区にあるAmazing Tree Collection 社社長Daw Thandar Soe女史は言う。「制裁が解除されれば、間違いなくオーダーはミャンマーに来ます。労働コストが安く、中国よりも安いのですから。」

Daw Thandar Soe女史は、制裁解除を予測してAmazing Tree Collection社では拡張の準備をしていたと付け加えた。

「最も難しい問題は、土地を借りて、新工場を建設することです。」実業家の中には投資としてただ工場用地の区画を買うだけで、何もしない人もいる。「ただただ土地を借りるだけで、価格が高くなれば、売るだけです。でも、それでは、実際に工場を作りたがっている会社には問題を生じさせるだけです。」

 

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最終更新:2013年01月24日06:00

ミャンマーのプリント業界も縫製業界の隆盛を追い駆ける

ミャンマーの縫製業は新しい対外投資の助けを借りて成長する準備をしているところだが、国内のプリント産業は問題に直面している。

電気や熟練労働者や塗料の不足は、染色業界に不利な条件をつけていると関係者は言う。

「縫製業界に大きな期待が寄せられる中、私には工場を拡張する計画がありますが、電気や労働力や染料が十分ではなく不足しているという問題に直面しています。」とHlaing郡区A Plus Three Silk Screen Painting社オーナーのU Kyaw Kyaw氏は言う。

現在では、プリント工程に使われる染料は、中国やタイや日本から輸入される。小規模の会社は15-60kg(33~132ポンド)の缶を買うことができないので、代わりに5ポンド(およそ2.3kg)の箱を買うと彼は言う。

「箱の染料は、食品で使われるある種の粉と混ぜ合わせられます。ほとんどは中国製です。」と言い、偽の粉だと衣類が駄目になることがあると言い添えた。

生産される衣料の80%は輸出または国内販売の前に染色が必要になると彼は言う。「我々のほとんどの注文は、シャツに花柄を入れてほしいと望む女性からです。輸出注文を得ることができるように、品質には気を使っていますし、対昨年同期比で25%も伸びています。国内市場のシャツのプリント価格はK250で、輸出用シャツはK200です。ロットが大きいので、輸出市場を向けのシャツのプリントは安いのです。輸出注文は少なくとも8000pcs以上であるのに対し、国内注文はおよそ1000または1500ほどです。」

マレーシアの染色工場で3年間働いた経験を持つ染色工場長Ko Nyan Sint Aung氏は、ミャンマーでのプリントが大部分は手仕事であるが、仕事の品質は外国製品に引けを取らないと言う。

「染料が上質で、労働者が熟練であるなら、もっと多くの輸出契約を取れます」とし、会社の活動が確実に予定通りに進むように電力供給が安定する必要もあると付け加えた。

しかし、Golden Third Silk Painting工場の工場長U Min Naing氏は、日本の縫製工場から注文を受け、日本から輸入される染料を使っていると言う。

「1つのデザインで20,000着以上のシャツの注文を得たので、今年の注文はおよそ30%増加していると思われます。一方で、国内の注文は、300~600着のシャツが中心です。」と言い、業界が競争価格について交渉できる同業組合がなかったと付け加えた。

染色会社は、ミャンマー縫製業者協会のメンバーではないと彼は言う。

「我々は、縫製業界に頼っています。もっと多くの輸出注文がもらえるよう、縫製業界が益々発達しつづけることを希望します。」と彼は付け加えた。

 

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最終更新:2012年12月18日06:00

ミャンマーでは今後、数千もの縫製工場が現れる

ミャンマー縫製業界は、改正外資法の制定に続き、米国制裁の解除で大きな後押しを得られるとある工業協会関係者は先週述べた。

12月中旬に繊維フェアがヤンゴンで開催されると11月下旬に発表した後に、ミャンマー縫製業者協会(MGMA)副会長U AungWinn氏は以下のように述べた。

「現在、ミヤンマーでは300以上の縫製工場が稼働しています。けれど、それは、バングラデシュ、インド、カンボジアといった近隣諸国と比較すれば、かなり少数です。縫製産業は、何千もの仕事を創出することができます。」

「近い将来、何千もの縫製工場がミャンマーに現れます。」と続け、多くの西洋の会社がミャンマーで事業を始めようと地元のパートナーと議論している一方、日本とタイの会社も待っていると付け加えた。

「12月の繊維フェアは、国際的使われている様々な道具と機械を公開することを目的とします。」と彼は付け加えた。

国際繊維産業フェア2012は、12月14日から17日までTatmadawホールで開催される。ミャンマー産業企業(MIEs)、ミャンマー商工会議所(UMFCCI)とヨーカー貿易マーケティング・サービス会社の共催である。イベントでは、17の国際企業から100のブースが出る。

ミャンマー縫製業界は2011年度およそ7億7000万米ドルの売上があり、そのうち、日本向けは3億4800万米ドル、韓国向けは1億8300万米ドルと、11月のイベントで配布されたプレス・リリースで公表された。

ミャンマーが単純な裁断・縫製・梱包(CMP)を越えて能力を拡大する時であると、展示の共同主催者U Myo Thant氏は言った。

「縫製業界は、CMPの仕事以上をする必要があります」と彼は言う。

「我々のデザイナーの技術は急速に上達し、我が国は豊富な労働者がいますが、自身のブランドとデザインで製品を作り輸出する必要があります。そして、そのためにはもっと多くの良質の機械設備が必要になります。」

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最終更新:2012年12月12日06:00

ミャンマー:タイ国境の工業団地で縫製工場が操業開始

Kayin州に最近設立された工業団地で新しい縫製工場が操業開始すると、ヤンゴンの工業団地への圧力を軽減することができ、というのも、仕事がなければ、出稼ぎするしかない地元の人々にとっても朗報であると業界専門家は言う。

UMH Garment IndustriesのオーナーU Myint Htay氏の名をとって名づけられたUMH-3工場が11月6日、Hpa-anで操業開始した。

「多くの工場がヤンゴンにあります。それで、ヤンゴンは労働力が集中しています。でも、これは社会問題を生じます。U Myint Htay氏は、ここに工場を建てることに同意してくれました。」とミャンマー縫製業者協会(MGMA)の議長U Myint Soe氏は言う。

「工場は、何千もの求人募集を出せます。ミャンマーは、2015年にアセアン経済共同体(ASEAN Economic Community)への加盟に備えなければなりません」

「地方には良質の労働力があるので、国境近くで縫製工場が稼働するとなるとヤンゴンの工業団地もうかうかしていられないと思います。労働者は、自分の故郷で同じ賃金を得られるならば、出稼ぎに出る必要はありませんし、政府は労働者から税収を得られます」と彼は付け加えた。

UMHは、すでにヤンゴンに2つの工場を持つ。ヤンゴン地方のShwe Pyi Thar郡区のUMH-1とヤンゴン地方のPyinma Pin工業団地のUMH-2である。UMH-3は、Hpa-an初の工場で、150人の労働者を雇用しており、2月からその150名を郡区に建てられたミャンマー母子福祉協会で職業訓練を経験していた。

UMH-3工場の面積はおよそ8haで、もう一つの工場は20haで、現在、工事中である。

「私は、UMH-3からUMH-9まで工場をここで建てます」とUMH-3のための開会式でU Myint Htay氏は言った。

Kayin州担当大臣U Zaw Min氏は言う。「ここの主な仕事は農業です。ですが、農業では食べていけません。大部分の若者は、仕事を見つけるために、海外に行きます。Kayin州に産業を起こすのは地元の人々に大きなチャンスを与えます。つまり、生計を立てるためにもはや家を出る必要はありません。」

Hpa-an工業団地は2011年12月に設立され、U Zaw Min氏が設立の式典に出席した。

「工業団地は、街や空港に近く、Thanlwin川と、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、バングラデシュとインドを繋ぐことになる東西回廊沿線にも近い」と彼は2011年12月7日にミャンマー・タイムズに話した。

「この工業団地は、東アジアと東南アジアに繋ぐだけではなく、南アジアも繋ぎます」と彼は言う。

工業団地はHpa-anから11kmで、最近タイとの往来が再開されたMyawaddy-Mae Sot国境貿易地域にも近い。

 

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最終更新:2012年11月13日06:00

ミャンマー:皮革産業が直面する発展への障害

技術革新が進み、インフラが十分に改善されるまで、ミャンマーの皮革製造業界は発展できず、メーカーは国際市場向けに生原料または半製品を製造するのみである、とミャンマー皮革協会会長Tin AungShwe博士は言う。

「地元の皮革産業の停滞は、ほとんどの生産者が原料供給だけで、しかも、それは品質が劣悪で、輸入できないと判断されたりするからです」と彼は言う。

Silver Swan社は半製品(30%)革を製造することができるミャンマーで唯一の会社で、製品は中国、タイ、インドなど他の国で革シートに仕上げられる。

業界内の他の業者は、なめしの工程だけに限られている。

中国政府は、ヒトの疾患を引き起こす可能性のある細菌を運ぶためにミャンマーからの生革の輸入を禁止している。それにもかかわらず、Shan州Museの国境では中国側に密輸されている。

「中国は、1トン当たり150USD程度のコストでウェット・ブルー・クロム(WBC)として知られている半完成皮革約50トンを輸入している」とSilver Swan社オーナーU Kyin Su氏は言う。

U Kyin Su氏はインドの会社に5000USDを支払って、ウェット・ブルー・クロム(WBC)を作るために必要な技術を買った、と彼は言った。

「ミャンマーの皮革産業は多くの課題に直面して拡大できないでいます。主な問題は、電力の不足、不十分な水処理や排水システムや不十分な用地の問題です」

「悪臭が製造工程中に生成されるので、なめしの工程を隔離しておくことが必要になります」と U Kyin Su氏は述べた。

皮革産業は1962年に国有化され、個人で操業していた企業のオーナーは逮捕された。

「1989年に政府はこの禁止を解除していますが、インフラ整備は優先されたことがない」と彼は付け加えた。

ミャンマー・レザー協会が6月に設立され、20名の中央執行委員会のメンバーで構成された。協会の目的は、全国からの革の技術者の技術を集約し、より効率的な技術を活用することで、業界を拡大することである、と彼は言った。

協会の広報担当者によると、ミャンマーのウェット・ブルー・クロム(WBC)の革は、平方フィートあたり1ドル未満で売られているのに対し、世界最高品質の皮革製品を製造するために有名であるイタリアとインドではウェット・ブルー・クロム(WBC)は平方フィートあたり36ドル以上である。

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最終更新:2012年09月28日06:00

ミャンマーの縫製業者、生き残りに必死

低熟練労働力、輸入制裁と相対的に不利な租税政策がミャンマーの縫製産業の発展を阻んでいる、とは、ミャンマー縫製工業協会のメンバーの最近の発言である。
発言は、8月25日のミャンマー商工会議所組合で行われた記者会見でのことである。
労働者の不満が5ヶ月前に爆発して以来、メーカーがメディアにこのような発言をしたのは初めてだった。5月1日から7月30日までの間に、約70の縫製工場で労働者がストライキを起こし、昇給や、労働組合結成禁止の解除のような労働条件改善を要求してきた。
ミャンマー縫製工業協会(MGMA)会長U Myit Soe氏は言う。「シンガポールやマレーシアなどミャンマーに原料を販売する国々は、我々の輸出市場である日本と韓国から地理的に離れているので、生産のリードタイムがかかってしまいます。我々は納期に間に合わせるよう圧力をかけられているので、労働者は長時間労働を余儀なくされ、時間外労働賃金は低いままです。」
彼はミャンマーには熟練縫製工が不足しているために品質の低い衣類しか生産できないので、総収入金額は総輸出額の約10か15%でしかないと述べた。
「我々の収入は、<縫製工賃>だけです。私たちは服をデザインしていないし、原材料も輸入しなければなりません」と彼は付け加えた。
「2000年には、ここの繊維業界は3億ドル稼いでいたんですよ」とU Myint Soe氏は言う。翌年の収益は約8億ドルに急増したが、2003年にはアメリカが、国際労働機関(ILO)による強制労働の告発を受けて制裁を課したため、以来、下落している、と述べた。
数え切れないほどの工場が閉鎖され、10万人以上の縫製工が失業した。ミャンマーの縫製工場は、それで日本にビジネスの糸口を見出そうとした。
「日本はアメリカほど労働条件の改善に熱心ではなかった」と彼は言った。
「[制裁の課された]2003年以来、業界は沈んだままです」とミャンマー縫製工業協会(MGMA)書記長Daw Khaing Khaing New女史は述べた。
「我々は労働者の能力を高めようと頑張ってきました。けれども、ワーカーは技術が身に着くと、すぐに辞め、より良い賃金を求めて、中国やタイの国境の工場に移るのです。我々が高収益をあげるように管理していくのはまだ先のことです」と彼女は付け加えた。
「ミャンマーは世界の最貧国の一つです。しかし、カンボジア、ラオス、ベトナムなどの同じように貧しい国々とは異なり、ミャンマーは、後発開発途上国のための <一般特恵関税制度>(GSP)の基準に下げた税率でヨーロッパの国に商品を輸出することは許されません。これは東南アジア地域の他国と競争に参入することの障害となっているだけでなく、ヨーロッパ市場に進出するのも難しくしているのです」と彼女は言った。
ミャンマーは、1997年のILOの労働基準違反報告後、<一般特恵関税制度>(GSP)の特恵受益の対象から外されました。
Zawtika縫製工場のU Khin Hlaing氏は、アメリカの制裁が完全に解除された場合であっても、熟練縫製工は不足したままで、ミャンマーの競争力は当分低いままだろうと述べた。
「我々は西洋のバイヤーを見つけることができた場合でも、ミャンマーには十分な熟練縫製工が存在しないので、顧客の要求を満たすことは難しい。困難極まりないのです」と、U Khin Hlaing氏は言う。

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最終更新:2012年09月18日06:00

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