インドシナニュース

ミャンマー:デザイナーが自国のファッションに倫理感を注入(後)

(前編より)

 

ファッションの奴隷

貧しいが新興のミャンマーは、H&M社やPrimark社のようなファッション大手にとって、可能な限り早く安い衣料品を提供するアパレル製品大量生産工場の新拠点に位置づけられてきている。

政府統計によると、昨年の輸出売上高はその前年2倍以上となる17億米ドルとなり、米国が10月に経済制裁を終了した後は急増すると予想されている。

しかしこの分野が国に急速な経済成長をもたらす一方で、労働者はアジアでも最低レベルの賃金しか得られず社会保障もないなど、ほとんど利益が得られていないとの批判が挙がっている。

多国籍監視団であるSOMOの最近のレポートでは、ミャンマーのアパレル産業における労働権の侵害について、喫緊の課題として取り組む必要がある重大なリスクであるとの警鐘を鳴らした。

Mo Hom氏など他の地元デザイナーらは、タイや中国産の安い輸入服の大量流入からミャンマーの伝統的な衣料品産業を保護するために活動している。

ヤンゴンにある彼女のブティックは、チン州やシャン州を原産とする綿やシルクで出来たカラフルなデザインの衣服で満たされているが、こうした商品の中には、伝統的な木製の織機を使用して手作業で数ヶ月かかっているものもある。

多くは緑茶やイチゴのような天然素材で染色されて繊細な色味を醸し出しており、それに彼女は伝統的な民族模様やシルエットを加えている。

「市場の需要が少なくなり、地元の工場はどんどん消えつつあります。」と2012年にミャンマーに戻ってくる前には、ニューヨークでデザイナーとして働いていたMo Hom氏は言った。

「本当に多くの工場が閉鎖しつつあるのです。」

 

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最終更新:2017年07月10日14:05

ミャンマー:デザイナーが自国のファッションに倫理感を注入(前)

ミャンマーが大量生産の衣料品製造拠点として発展する一方で、地元の若手デザイナーらはミャンマー発祥の衣料品の伝統を保全し、労働搾取の工場形態に一石を投じるために自国のファッションを利用しようと考えている。

ヤンゴンの商業地区にあるブティックでは、Pyone Thet Thet Kyawさんが少数民族の伝統的な模様や生地を使った独自のデザインで、Aラインのスカート、ドレス、トップスを制作している。

例えば彼女は、ミャンマーの女性が体にフィットしたサロンのような巻きスカートと合わせてよく着用するタイトな上着に、inngyi柄の高い襟足を加えている。

「我々ビルマ人は、民族の伝統的な衣装を本当に大事に考えています。」と彼女はミシンの音の響く店内でAFPに対して言った。「こうした伝統文様の衣服を現代風にアレンジする場合は、あまり派手になり過ぎず、また現代風になり過ぎないことに注意しなければなりません。」

ミャンマー人は自国の伝統的な衣服についてとても誇りに思っており、以前の軍事政権下においても、東南アジア全域に広がっていた均一的な西洋ファッションの流入から固く保護されてきた。

軍事政権は50年もの間、国を封鎖して外国の影響を排除し、すべての公式メディアにおいて何を身に着けるかを厳しく管理していた。

デザイナーのMa Pont氏は、1990年代に軍事政権によって統治されたテレビ局向けに服を制作していた際、肩や脇を少しでも見せることは許されていなかったと言った。

「我々は本当に不自由を強いられていたのです。」と彼女は述べた。

この時代、多くの女性が野党指導者のAung San Suu Kyi氏が着用する独特なスタイルを模したデザインをこっそりと仕立屋に依頼するなどし、ファッションは特に政治的な意味を持つものであった。

約20年もの間自宅で軟禁された後に解放された日に、Aung San Suu Kyi氏が身に着けていた紫色の衣服は、すぐにヤンゴンの街で人気のカラーになったと現地メディアは報じた。

 

嗜好の変化

昨年ミャンマー初の文民政府の指導者となった、民主主義の象徴であるAung San Suu Kyi氏が公式の場で身に着けているエレガントなビルマの衣装は、今日でも依然として広く賞賛の対象となっている。

しかしなお多くの人が伝統衣装、特に男性と女性共に着用するサロンのようなlongyiを好む一方で、ファッションは変わり始めている。

ヤンゴンで成長しつつある中産階級を対象としたショッピングモールが街に立ち並ぶようになり、辺境の工場では若くて安い労働力が国際ブランドの衣料品を大量生産している。

ブティックデザイナーのPyone Thet Thet Kyaw氏は、こうした業界の裏側を自身で体験してきた。

10代の頃、彼女は郊外にある衣料品工場で数ヶ月働き、一週間に2000ミャンマーチャット(現在で2米ドルほどの価値)を得ていた。

その経験により彼女は自身のブティックを開業して衣料品を制作する若手女性を養成し、彼女らが自身と同じ運命を辿らないようすることを心に決めた。

「昼食に10分しかかけられなかったり、トイレに行くこともままならなかったりするなど、生産が台無しにならないよう私は常に監督する必要がありました。」と彼女は言った。「ファストファッションや倫理に反するファッションが継続される限り、我々は苦しめられることになるのです。」

 

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最終更新:2017年07月10日13:05

ミャンマー:タイとの国境におけるダウェイ経済特別区(後)

(前編より)

 

地元住民が求めているもの

2013年12月、地元住民らはダウェイ民族党を結成し自らの運命を自らの手で動かすことに決めた。活動の一つとして、間もなく行われる11月8日の総選挙に州立法政府から候補者をたてている。

これに対し54歳の副会長であるMaung Maung Aye氏は次のように語った。

「産業は必要です。しかし私たちが必要としているのは衣料品や漁業のように環境を破壊しない産業です。もしこのような産業が開発されれば、何万もの地域の地元住民が、隣接するタイの衣料品や海産物産業で働く必要はなくなるのです。」と彼は語った。

氏の見解は与党の連邦団結発展党(USDP)と選挙で争うMyat Ko氏のものとさほど遠くない。「私はここが地元で、この場所の土地の問題を熟知しています。」と氏は事務所でのインタビューで語った。「私は常に地元の人々の側にたっています。これは雇用の問題です。タイではたくさんの就業のチャンスがありますが、ここでは全くないのです。」

Myat Ko氏は約10万から20万人がダウェイ地区からタイに労働にでていると見積もっている。この人々は訓練された労働力となりうる。ダウェイ経済特区(DSEZ)で中小企業(SME)を発展させることが彼らを呼びもどす第一歩だ。

 

将来は歩み寄りの中にある

開発されたものとしては小さい貯水池、採石場、そしてコンクリートの製造工場がプロジェクトの現場にある。現在企業はミャンマーよりもタイの人々を多く雇用しているが、取り決めでは雇用できる外国人は4人に1人と決められているため、状況は今後変化するとSuphap氏は言う。

現在タイの国境のPhu Nam Rongへ行き来するのに3-4時間かかり、138kmにおよびぎっちりと赤土が敷き詰められているタイへ向かう道路沿いに、光ファイバーケーブルを巡らせようとする計画もある。

そこからバンコクまではわずか2時間だ。ダウェイ経済特区(DSEZ)からバンコクまでは現在約7時間かかる。

Suphap氏によれば、Tanintharyi側の曲がりくねった山道が完成すればわずか4時間に短縮されると言う。

このプロジェクトを行う主な理由づけはこの近さであり、タイ湾からアンダマン海への近道を熱望していたタイが積極的に計画を推し進めてきた。これによりダウェイからガーンチャナブリーを通ってバンコク、さらにカンボジアのプノンペン、ベトナム南岸のホーチミン市とブンタウ、ベトナム中部沿岸のクイニョンを結ぶいわゆる大メコン圏経済回廊が完成する。

ただプロジェクトの複雑さや地元住民からの反対、投資家の関心も低いこともあいまって進展はさほどみられていない。

しかしながら日本政府が7月にダウェイのプロジェクトを支援すべくミャンマーとタイと500億米ドルの三国協定を締結し参加したことにより、状況は好転してきている。

200平方キロメートルのダウェイ経済特区(DSEZ)をサポートすべく、2億5000万トンの積荷を取り扱うことができるよう港を拡張することが計画の一部である。タイ首相のプラユット・チャンオチャ氏は、ダウェイが新しい「世界の流通センター」になりうると語った。

日本の安倍晋三首相はより慎重で、ダウェイ経済特区(DSEZ)は「日本とアセアン、日本とタイの間の経済関係を強化する機会を与えるでしょう。」と語った。

ダウェイ経済特区(DSEZ)のSuphap氏は楽天的だ。「皆が皆このプロジェクトに賛成しているわけではありません。調整の問題です。」と氏は語った。

氏によれば、もはや石炭火力発電所は計画には無く、イタリア-タイ開発(ITD)は天然ガスでダウェイ経済特区(DSEZ)に電力を供給するという。先月イタリア-タイ開発(ITD)はダウェイ経済特区(DSEZ)に液化天然ガス(LNG)施設を建設すべくロイヤル・ダッチ・シェル社と合意書に署名した。

「我々の利権協定によれば、イタリア-タイ開発(ITD)は今後2,3年で7万の雇用を創出しなければなりません。」と氏は言う。

「2年間で7平方キロメートルの面積が準備できます、進展はしています。」と氏は語る。「一番需要なのは中小企業であって、重工業や深海港の建設は後でもかまわないのです。」

 

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最終更新:2015年10月03日14:12

ミャンマー:タイとの国境におけるダウェイ経済特別区(前)

ミャンマーとタイの国境に位置するダウェイを経済特別区と工業団地にする大がかりな計画は地元住民の反対を受けている。

 

エンジニアであるSuphap Satthathum氏が、タイとの国境に位置するミャンマー最南端、タニンダーリ地方域の港町ダウェイ近くの大きな曲線をもつ海岸を通り、熱帯低木林のジャングルに足を踏み入れてから、すでに8年もの長い歳月が流れた。

しかし今日では自社で建設した桟橋を通り、来訪者に27平方キロにおよぶダウェイ経済特区(DSEZ)の第1フェーズを案内しながら、新しい取り組みがあることを発見している。

出だしで躓いたり、根強い不信感があったにも関わらず、静かで孤立したアンダマンの沿岸をアジア最大の工業地帯に転換させようという大がかりな開発は、現場で見るとのほとんどはまだ開けた土地ではあるが、ようやく好転してきているかもしれない。

ダウェイ経済特区(DSEZ)は2008年にミャンマーとタイ両国間の覚書からうまれたもので、海外からの直接投資、雇用の創出と成長の促進を目的とした国内の三つの経済特区の一つである。

バンコクを拠点とするイタリア-タイ開発(ITD)はダウェイ経済特区(DSEZ)を開発する50年の特権を与えられ、プロジェクトの第1フェーズに着手している。

現地のイタリア-タイ開発(ITD)社では現場の大きな地図や空中写真が、草木のない土地に建つビルの大きなポスターに展示されている。現場のプロジェクト責任者であるSuphap氏は建設中の建物を自慢げに案内してくれた。やがて何千もの労働者の住宅となるはじめのいくつかだと言う。

第1フェーズがターゲットとしている業界は自動車部品、家具、家電、衣料品と皮革、缶詰工場、冷凍食品、薬剤やゴム加工である。イタリア-タイ開発(ITD)は投資家に対して土地を提供すべく提案しているが、合意に至った取引があるかどうかは不明だ。約束された雇用はまだ実現しておらず、まだまだ地元住民の支持を得なければならない状況である。

 

出だしから不安定

経済特区の問題の一つはその発端にある。非常に嫌われていた軍事政権時代に計画されたもので、軍事政権が今や半民間政府にとってかわられても、不信感という塊をぬぐいきれず、払いのけるのに奮闘してきた。

「決して実現しません。」タニンダーリ地方域の首都ダウェイで携帯電話と関連商品の店舗のオーナーであるEi Ei Myint氏(35歳)は言う。

「信頼の問題です。私たちは政府を信用していないし、彼らがこの種の産業育成に対処できるはずがありません。土地の押収や補償など、彼らが解決できていない問題はあまりに多いのです。」

地元住民を悩ませる課題は他にもある。ダウェイ内や周辺で行われた複数のインタビューで、東は何キロも続く自然のままの海岸、西は尾根に囲まれた緑豊かな田んぼや川の地元住民らは、大気や水の汚染を心配しているとのことだ。

彼らはイタリア-タイ開発(ITD)がタイから労働者を連れてきたことを快く思わず、外国の人々が元々保守的な地域社会に強欲さや悪習をもたらすのではないかという懸念を持っている。「ビジネスチャンスという意味においては前向きですが、社会的な問題という意味においてはマイナスです。」とEi Ei Myint氏は不安をあらわにした。

Myat Ko首相(chief minister)はインタビューのなかで、土地所有や補償の問題は複雑であることを認めた。プロジェクト開発者が、地元住民が何を必要としているかを十分に理解できていないという事実は全く役立っていない。

例えばダウェイ経済特区(DSEZ)のために土地が取得される地元住民のためにイタリア-タイ開発(ITD)が構築した移住先の村であるバワでは、新しい家は十分な大きさで頑丈にできているが、田んぼやカシューナッツの果樹園に囲まれた分散した村落のなかの、地元住民が慣れ親しんでいる空地が無い。ほとんどの家は空き家のままで、雑草に囲まれている。

プロジェクトへの反対運動は2010年に勢いを増し、その後タイのアピシット・ウェーチャチーワ首相がダウェイのプロジェクトについて、テレビで以下のように述べた。「いくつかの産業はタイに置くにはふさわしくない、だからそこに持ってくるのです。」

 

廃棄場

ミャンマー政府はミャンマーが公害産業の廃棄場となることをすばやく否定した。しかしながらアピシット氏のコメントは結果的にミャンマーに政治的な自由がもたらされるにつれて発言権が強まり、聴衆も増えつつある市民社会団体らに注意を促す結果となった。

地元の活動家はタイの活動家と接触し、タイへ視察旅行に訪れた。ダウェイ出身でMyanmar Knowledge Society代表のZaw Oo氏もそのうちの一人だ。

「ダウェイのプロジェクトは地元住民に関心のない軍事政権下ではじめられたものです。」Zaw Oo氏はインタビューのなかで語った。「環境影響評価を全くせず覚書に署名しました。私たちが若い人たちにプロジェクトを監視するよう組織化したら、それが市民社会活動に発展したのです。」

2009年、29の村が移転するはずだった。「新しい村の場所は存在しましたが、インフラは何もありませんでした。」と氏は語る。「村人たちは移転を拒否しました。」

しかしながらプロジェクトへの反対運動は微妙に異なる見解を持つ。「ダウェイの人々は深海港建設については賛成しています。」とZau Oo氏は説明した。「しかしダウェイ経済特区(DSEZ)に対しては様々な懸念を持っています。」

最も深刻な問題は石炭火力を動力とする2,000メガワットの工場、ダム、そして貯水池だ。石油化学の施設に関する別の計画も存在する。

これらの計画に対して懸念が生じている。環境影響評価を行っているバンコクのチュラロンコン大学の研究者らは、腹を立てた地元住民にダム現場から追い出された、と活動家らは語った。

 

(後編につづく)

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最終更新:2015年10月03日11:12

1年で5倍に拡大したミャンマーへの海外直接投資、主軸は縫製工場

ミャンマーでの対外投資は昨年度、対前年比5倍の伸びを見せたことが月曜日に発表された数値でわかった。投資当局の幹部によれば、その多くがアパレル製造業界だと言う。

「ミャンマーへ国内投資及び外国投資は2012-13年で5倍に増加した。」と国営新聞は日曜日テイン・セイン大統領のマンダレーでの演説を引用して報じた。

「海外直接投資は94社で、合計14億1900万米ドル以上である一方、現地投資は65社で、1兆1000億チャット (およそ13億米ドル)行われ、合計82,792名もの雇用機会を創出しました。」と述べた。

あるミャンマー投資委員会高官によれば、2011年4月から始まる前の会計年度には、ミャンマーへの海外直接投資(FDI)はわずか11社、約3億米ドルだったとロイター社に伝えた。

「昨年の海外直接投資(FDI)の意味合いは、94件の投資案件のうちの78件が、労働集約的製造業部門、つまり、そのほとんどがアパレル縫製工場ということでした。」と述べたが、彼はメディアと話す権限がないので匿名を希望した。

2012-13年度の投資の大部分は、中国、香港、日本、韓国、シンガポールからによるものである。

「そして、登録案件の実行率は今までになく高かったです。」と言い、1988年以降で563社、約423億1000万米ドルが登録されているが、実行されたのは322億8000万米ドルだけであることを指摘した。

2011年3月までミャンマーを支配した軍事政権に対する西側諸国での経済制裁解除を受けて、見通しは明るい。

「EUは、すぐにミャンマー宛に一般特恵関税制度(GSP)を与えるのを計画していますし、現在は、毎日のように世界中から外国人投資家が集まってくる一方です。」と投資担当職員は言い、後発開発途上国への特恵関税制度にも言及した。

また、投資環境は2012年11月に可決された新しい対外投資法案によって明確化されている。

 

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最終更新:2013年05月15日14:00

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