インドシナニュース

ミャンマーの縫製業者、生き残りに必死

低熟練労働力、輸入制裁と相対的に不利な租税政策がミャンマーの縫製産業の発展を阻んでいる、とは、ミャンマー縫製工業協会のメンバーの最近の発言である。
発言は、8月25日のミャンマー商工会議所組合で行われた記者会見でのことである。
労働者の不満が5ヶ月前に爆発して以来、メーカーがメディアにこのような発言をしたのは初めてだった。5月1日から7月30日までの間に、約70の縫製工場で労働者がストライキを起こし、昇給や、労働組合結成禁止の解除のような労働条件改善を要求してきた。
ミャンマー縫製工業協会(MGMA)会長U Myit Soe氏は言う。「シンガポールやマレーシアなどミャンマーに原料を販売する国々は、我々の輸出市場である日本と韓国から地理的に離れているので、生産のリードタイムがかかってしまいます。我々は納期に間に合わせるよう圧力をかけられているので、労働者は長時間労働を余儀なくされ、時間外労働賃金は低いままです。」
彼はミャンマーには熟練縫製工が不足しているために品質の低い衣類しか生産できないので、総収入金額は総輸出額の約10か15%でしかないと述べた。
「我々の収入は、<縫製工賃>だけです。私たちは服をデザインしていないし、原材料も輸入しなければなりません」と彼は付け加えた。
「2000年には、ここの繊維業界は3億ドル稼いでいたんですよ」とU Myint Soe氏は言う。翌年の収益は約8億ドルに急増したが、2003年にはアメリカが、国際労働機関(ILO)による強制労働の告発を受けて制裁を課したため、以来、下落している、と述べた。
数え切れないほどの工場が閉鎖され、10万人以上の縫製工が失業した。ミャンマーの縫製工場は、それで日本にビジネスの糸口を見出そうとした。
「日本はアメリカほど労働条件の改善に熱心ではなかった」と彼は言った。
「[制裁の課された]2003年以来、業界は沈んだままです」とミャンマー縫製工業協会(MGMA)書記長Daw Khaing Khaing New女史は述べた。
「我々は労働者の能力を高めようと頑張ってきました。けれども、ワーカーは技術が身に着くと、すぐに辞め、より良い賃金を求めて、中国やタイの国境の工場に移るのです。我々が高収益をあげるように管理していくのはまだ先のことです」と彼女は付け加えた。
「ミャンマーは世界の最貧国の一つです。しかし、カンボジア、ラオス、ベトナムなどの同じように貧しい国々とは異なり、ミャンマーは、後発開発途上国のための <一般特恵関税制度>(GSP)の基準に下げた税率でヨーロッパの国に商品を輸出することは許されません。これは東南アジア地域の他国と競争に参入することの障害となっているだけでなく、ヨーロッパ市場に進出するのも難しくしているのです」と彼女は言った。
ミャンマーは、1997年のILOの労働基準違反報告後、<一般特恵関税制度>(GSP)の特恵受益の対象から外されました。
Zawtika縫製工場のU Khin Hlaing氏は、アメリカの制裁が完全に解除された場合であっても、熟練縫製工は不足したままで、ミャンマーの競争力は当分低いままだろうと述べた。
「我々は西洋のバイヤーを見つけることができた場合でも、ミャンマーには十分な熟練縫製工が存在しないので、顧客の要求を満たすことは難しい。困難極まりないのです」と、U Khin Hlaing氏は言う。

ミャンマー ジャンル:
最終更新:2012年09月18日

このページのトップへ戻る