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ベトナム:ハノイの縫製工場のオリンピック変革--X40からMaxportへ

ハノイ近郊にあるソビエトによって作られた複合施設は現在、ナイキや米国オリンピックチームのような世界的なスポーツウェアブランドのための製品を開発している。

Nguyen Thi Thu Huyenが第40縫製工場で仕事を始めた当時、そこでは長年続いたベトナム戦争中と同様、ベトナム軍のためにブーツとユニフォームを生産していた。

現在、ハノイ郊外に広がるソビエトによる広大な複合施設は、ナイキなどの世界的なスポーツウェアブランドや米国オリンピックチームTeam USA向けに、年間何百万もの商品を忙しく生産している。

「オリンピックを見ると、スクリーン上に映る私たちの作ったユニフォームを目にできるのはとても誇りに思います。私が作ったものではないかもしれませんが、私の作ったのも間違いなく会場で誰かが着ているわけですから」と1990年代初頭に工場で働き始めたHuyenは語る。

ベトナム戦争の最盛期には、『X40』はベトナム国防省によって命名されたコードネームであり、この工場は北ベトナム軍と南部の解放戦線のために制服を製造する3つの工場のうちの1つだった。

しかし、ソビエト連邦の崩壊に伴い、国営工場は輸出志向製品に集中し、必要とされる外貨を調達することを余儀なくされた。

ベトナムは当時すでに「ドイモイ」改革の途についていたが、それでも1994年まで米国の通商禁輸の下にあり、通称は解禁されていなかった。

「工場はベトナム軍向けにジャケットや靴、さらにはミサイルのカバーまで作っていました。しかし1991年に私が来た時には、すでに輸出用衣類の製造に転換していました」とオーストラリアのビジネスマンJef Stokesは言う。彼は、ベトナム開放後、X40に発注した投資家第一波のうちの一人だった。

Stokes2006年にこの工場を購入し、Maxport Limitedに変身させた。今や顧客としてナイキ、アシックス、そして指折りのオリンピックチームまで誇るスポーツウェアメーカーである。

「我々はかなりの数の大国を装備しています」とStokesは語る。「ロジャーフェデラー、タイガーウッズ、セレナウィリアムズ、ラファエルナダル...といった、たくさんのスポーツスターが登場します。これらはすべて私たちがプロデュースするナイキの傘下にあります。」

工場は物理的な変革も遂げた。

工場の労働者の間で繰り返された伝説によれると、ベトナム建国の父ホーチミン主席が植えたという大きなバンヤンツリーを除いて、コンクリートの海に囲まれて、工場複合体にはほとんど木が存在しなかった。

Stokes6000本以上の木を植えて厚いジャングルを作り、それが建物を豊かな葉に包み込んでシリコンバレーのスタートアップのような雰囲気を作り出した。

工場がまだX40として知られていたときに仕事を始めたHuyenは語る、「ファッションは歴史をたどる」と。



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最終更新:2019年07月27日

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