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タイ:ミャンマーからの移民労働者が結束

国境の町Mae Sodにいる難民は、悪徳な雇用主やタイ当局による強制送還に対し、権利を守るために民族間で結束。

 

Moe Swe氏は1988年にミャンマーのヤンゴン通りで、30年にもおよぶ軍事政権を終わらせることを訴えた数十万人の学生の中の一人であった。しかし軍は武力によって対抗し、活動はすぐに鎮圧されて多くが殺害された。また、生き残った者も逃亡を余儀なくされた。

多くの難民同様Moe Swe氏はタイに渡り、工場や建設現場で不法移民労働者として働き始めた。労働条件は劣悪で、彼はしばしば無賃金で働かされた。きちんとした住居もなかったため、彼は移民局と軍に目を付けられていた避難所に住んでいた。逮捕や国外退去を免れるため、彼はしばしば役人らに賄賂を支払わなければならなかった。

10年も経つと、彼は疲れ果ててしまった。そして1999年に、Moe Swe氏は彼自身のような移住労働者の権利活動のために、Yaung Chi Oo労働組合を設立した。「我々は、雇用主と従業員の間に紛争が起きた際、労働者に対して交渉における助言を与え、仲裁を行っています。」と彼は説明した。「彼らが望むような合意を得られない場合は、我々はプロの法律事務所に支援を求めています。」

タイにいる約300万人の移民労働者のうち、おおよそ3分の2が不法移民である。大多数はミャンマー出身で、少数民族グループと軍との間の長期にわたる紛争によって、こうした難民が際限なく生み出されている。

国境にあるMae Sodの町には、ミャンマー出身の移民労働者が約10万人いるが、彼らは何百もの工場にて、アパレル製造のような労働集約型産業で働いている。

タイの最低賃金は1日15米ドルであるが、ここでの労働者はそれよりはるかに低い給料しか受け取っていないという。正規労働者は1日5米ドルの収入を得ているが、不法移民労働者にはその半分の1日約2.5米ドルしか支払われない。

Moe Swe氏はこの労働組合について、当初誰も真剣に受け止めていなかったと述べた。「地方労働保護福祉局は我々のことをトラブルメーカーと考えていましたが、雇用主と従業員の間の仲介に尽力し続けた結果、今では理解を示すようになりました。」と彼は説明した。

この組織では、労働者のための安全な住居、子供のためのデイケアセンター、および移動診療所などを設立した。また彼らは、雇用主らに対して何件かの提訴を行い、約200人の未払就労者に対する賃金支払いを獲得した。現在では、タイの移民労働者の中で最も尊敬されている団体の1つとなっている。

しかし彼らが直面する課題もまた、より困難なものになってきている。タイのPrayuth首相は、不法移民労働者を強制送還するという決意を示した。 6月に施行された新たな罰則では、雇用主に最高2万5千米ドルの罰金と、労働者には最高5年間の懲役刑が科される可能性がある。

Mae Sodと別に、私は支援団体Arakan Labour CampのリーダーであるAung Aung氏と会った。 Aung Aung氏は、新たな罰則が不法移民労働者に適用されたことで、彼らの状況はこれまで以上に危うくなっていると指摘した。しかし彼は、民族問題がミャンマーを何十年も分断させている一方で、ここの労働者は民族間で団結し、共に権利のために戦っていると誇らしげに私に伝えた。

「私は決して、誰かを犠牲にするようなことを考えたことはありません。」と彼は言った。「ビルマ人だろうと少数民族だろうと、私は人々を助けたいと思います。彼らは我々の助けを信じてやって来ます。もし我々が助けることができない場合でも、他の組織の助けを求めます。」

Aung Aung氏は、2008年にミャンマー西部のラカイン州で起きた戦闘によって脱出した。タイでは縫製工場で6ヶ月間働いたが、助けを得る前は無給であったという。彼の故郷は軍隊に何度も襲われ、紛争地帯となってしまったことに怒りを覚え、彼は長い間、ミャンマーのイスラム教少数民族ロヒンギャを憎んできた。

しかしタイで移民労働者として生活し、労働者の権利を求めて戦う中で、彼の考えは変わってきたという。ようやく辿り着いたこの場所から再び逃げなければならないかもしれない、という新しい危機を前にしては、怒りや憎しみの余地はないとAung Aung氏は言った。

彼はロヒンギャについて、「私は当時、発生した事件について本当に怒りを感じており、彼らを本当に憎んでいました。」と述べた。「しかし怒りは問題を解決するものではないということが分かり、 自分がどう感じたかに囚われるのではなく、身近な問題に集中すべきだと自身に言い聞かせています。」

 

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最終更新:2017年11月10日

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