ベトナムビジネス体験記

第十六回 ベンタン市場

ワック・ティ・チャン広場のロータリーに面するベンタン市場の南門の姿はサイゴンの街の象徴と見られる。
市場とバスターミナルの間の、現在のニューワールドホテルの前の9月23日公園には、1975年以前はサイゴン駅があって、一帯はまさしく街の中心を成していた。当時、また、今も年輩の人たちの間では、ベンタン市場はサイゴン市場と呼ばれ、文字通りホーチミン市を代表する市場であり、同時に今も昔もベトナム最大の商業の中心地でもある。

20年近く前、初めてベトナムに旅行で来たとき、ベンタン市場には日本語を話す売り子などいなかった。
おそらく一番初めに日本語を覚えたのは、扇子売りやコーヒー売りの子供たちで、ある女の子などは、10歳足らずのうちに7ヶ国語ぐらいを操っていて驚いた覚えがある。
今ではほとんどどの店にも日本語を話せるスタッフがいて、隔世の感がある。

この市場の掛け値の高さは圧倒的で、当時でも他の市場の3倍の値段は付けていた。ベトナム人と言えど、いや、むしろベトナム人であるが故に、1/3の値段を返すのは難しい。売買を知らない者が、格段に低い値段を返すと、周囲がよってたかって、「言葉の袋叩き」にかかるからだ。
市場の商人たちはそうやって協同でベンタン市場を「高級品市場」という位置に保ち続ける。

ベトナムに来たばかりのころ、ベンタン市場に何日も通い続けた。衣料品売り場の一画の人たちと仲良くなった。
その中にTHUYという20歳すぎの女の子がいた。彼女の実家はLyTuTrong通りでバイクを販売している小売店で、たいそう裕福な家だった。一家はこのベンタン市場にブースも持っていて、セーターの販売をしていた。
当時、セーターは高級品で、12月頃にちょっと肌寒いかなという日があると、お金持ちがこれ見よがしにセーターを着て、外を出歩く姿を見て、驚いた記憶がある。こんな暑い国で、わざわざセーターなんて、着なくても、と。当社でもスキーウェアを扱って長いのだが、初めてこの国に来たときは、このベンタン市場で冬物衣料が売られているのに、不思議な違和感を覚えたものだ。
Thuyはバイク屋の娘で、家に資金力があるからセーター売りができたのだとわかったのはしばらくしてからだ。
日本のような品物で溢れかえっている国と違って、品物がないところでは、買う客より物売りが強い。ベトナムもそういう時代だった。いまでもそういう傾向は完全には払拭されてないけれど。

暇に任せて、その区画に毎日通い、買物する人たちと販売する人たちを、日がな眺めていた。

市場の買物の様子をずっと見ていると、あることに気付いた。
彼らは店に商品を並べているが、当然必ずしも客の求めている商品をすべて揃えているわけではない。自分の店にない場合でも、客を待たせて、近所の同業者の店を回って、所望された商品を取ってくる。
注文をとってから仕入れに行くわけである。これなら絶対に赤字にはならない。
また、こうすることで自分の店で売れなくても、余所の店を通じて商品を売り、周囲の店はお互いに販売力を高めるのである。
だから、自分の店の商品のみならず、周囲の店の商品の値段にも通じている。
安売りに関しては、店同士も牽制し合っていて、なかなか簡単ではない。下手に安く売ろうものなら周囲の同業者からから白い目で見られる。店側が安く売るにも一苦労する。
かくしてベンタン市場の商品の値段はなかなか下がらないのである。

秋利美記雄

プロフィール:1966年生れ。山口県下関市出身。1995年よりベトナム在住、大手商社勤務を経て、独立、アパレル専門商社及びコンサルティング会社を設立。 Qara Qoromo LLC.社長、My Lang Consultant Co., Ltd.取締役。 ベトナム語他語学に精通、現地企業との交渉は自ら行う。ベトナム在住歴16年。 アパレル情報ウェブサイト"Apparel Resource in Indochina"(www.apparelresource.asia/)を主催。

連絡先Eメール:info@apparelresource.asia

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