ベトナムビジネス体験記

第十四回 ベトナム人と外国語

昨今の日本企業では、社内英語化など業務の国際化の環境に対応する必要が迫られているが、従来、海外からの投資に頼ってきたベトナムではこうした外国語のニーズはより明瞭である。
生産メーカーの大部分は輸出入の部署があり、そこのスタッフには英語他の外国語を話せる者を揃えている。
また、ベトナム企業のトップを見ると、外国企業を相手にする会社のトップは概して英語を話せる人が多く、あたかも必須科目となっているようにすら見える。
年輩の人の中にはやはり英語が苦手という人が少なくないが、それでも半数以上の人はある程度できるのではないだろうか?仮に社長ができない場合は番頭格に言葉の達者な人が必ずいる。
若い人たちの間では、出世しようとしたら、外国語はもうすでに絶対条件になっているので、上昇志向の強い若者で外国語ができない者はいない。
私の同年代あるいは若干年上くらいの人でも、10年前までは全然できなかったのに、勉強して、現在ではかなり達者な人が少なからずいるのには驚くばかりだ。

私たちの業界でベトナム1、2を争う規模の大工場N社の社長となったC氏はその典型かもしれない。
C氏は私より5つくらい若く、その若さにも関わらず、10年ほど前にはすで計画部長を務めていた。立場上、外国人の客と会い、打合せをする機会が多かったが、当時はまだ英語も得意ではなかった。
私たちと話をする際はベトナム語なので不自由はなかったのだが、我々の上司や客が行くと、直接語り掛けたいのか、英語で話しかけようとした。だが、その英語(?)も何が言いたいのかわからない程度の代物だった。
そうした、何を言っているのかわからない英語(きっと英語だったのだと思う)を繰り返し喋っているうちに本当に話せるようになった不思議な人物である。凄い男である。
ベトナム語同様英語も唸るように、とにかく度胸だけで喋りつづけている感じだった。ところが、それを続けているうちに、ついには習得してしまったのである。
今でも決してお上手ではないのだが、とにかく自信に満ち溢れた様子で喋っている。

私のかつての伴侶は語学の天才で、私と知り合って身に付けた日本語を皮切りに、英語、韓国語、タイ語をある程度マスターし、現在では、オランダ語まで操るという。その習得方法は、ネイティブの友人を作り、いっしょに遊ぶうちに自然にマスターしてしまうというもので、学校に行って教室で先生に習うのではなかった。
こうした実践の繰り返しがまさしく外国語習得の近道だと思う。

斯く言う私自身も20年近く前に最初に移り住んだシンガポールではおっかなびっくりで、英語もとても話せたとは言えない。
だが、それから海外生活を続けているうちに否応がなく話さなければならない場面に何度も巡りあい、その繰り返しの結果、なんとか操れるようになったのだと思う。
ベトナム語にしても同様で、仕事で難しい交渉場面に出くわしたときこそが、語学力が一番伸びたときだと言える。
外国人の恋人や伴侶を持てば、外国語が上達するというようなことが実しやかに言われるが、実際にはそれは真実とは言えない。なぜなら、言葉を交わす人々の間に愛や慈しみの情があるときには、言葉はさほど必要ではないから。

それよりもビジネスの戦場でこそ、言葉は培われるのだと思う。
会話というのは<出たとこ勝負>以外の何ものでもない。喧嘩も場数ではないが、そうした場数をどれだけ踏むかで語学の力の伸びは違っていくのだろう。
そう考えると、ライオンのように吼えつづけていたN社のC社長のことが、勇士さながらに、脳裏に浮かび上がってきた。

秋利美記雄

プロフィール:1966年生れ。山口県下関市出身。1995年よりベトナム在住、大手商社勤務を経て、独立、アパレル専門商社及びコンサルティング会社を設立。 Qara Qoromo LLC.社長、My Lang Consultant Co., Ltd.取締役。 ベトナム語他語学に精通、現地企業との交渉は自ら行う。ベトナム在住歴16年。 アパレル情報ウェブサイト"Apparel Resource in Indochina"(www.apparelresource.asia/)を主催。

連絡先Eメール:info@apparelresource.asia

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